情報や知識の「正しさ」の意味はあいまいになり
情報や知識を覚えることの意義はなくなった。
それは本当にそう思う。
昔、教科書に書かれていたことは今は違うし
それ以上の情報がwikipedia等、ネットに掲載され
スマホ一つでいつでも調べれられる時代になった。

だけど、昨日
「知識、情報は大切だ」
と改めて思った。
会話の質と量というか
幅と深さというか
が変化するからだ。
ある話題になっても
「○○さんはこういうことを言ってて…」
「○○のデータでは…」
というような話が展開できれば
どちらが正しいと論破するという意味じゃなくて
会話の幅と深さ
多角的視点を提供できたりする。
藤原和博先生が
教育を「ジグソーパズル型からレゴブロック型へ」
という話をする。
全く同感。
で、この原理を知識・情報と会話に援用すると
・知識、情報はレゴブロックのピース
・会話はそれで創りあげられるアウトプット
ということになる。
当然、いろんな形状の
たくさんのピースを持っていた方が
壮大で、独創的で、優美なアウトプット(会話)を
成立させることのできる可能性が高い。

そして、その知識・情報は
正確に覚えてなくていい。
むしろ正確に覚えない方がいい。
ゆるやかなフックをかけている状態。
正確すぎると、結び付けられないからだ。
ゆるやかなフックだと
「あの話に似てるよね」
「原理はこうだよね」
という独創が生まれる。
8年前に読んだ本か(笑)。
それでもこうやって
思い出せるのはゆるやかなフックをかけておいているから。
だから昨日のある瞬間に結び付けられる。
で、この記事も
ゆるやかなフックをいっぱいかけておいた
知識・情報から出来上がっているというオチ。
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