25、26歳くらい
黒木町の四季菜館に足しげく通っていた時に
そこでの四季の暮らしで感じたことを唄った曲。
23歳の時に作った曲。
ホント、昔の曲って恥ずかしい。
歌詞を書き直したくなる。
不思議なことに
昔書いた本は
今読んでも
「恥ずかしい」とも「書き直したい」
とも思わない。
でも、楽曲の詞は違う。
その理由を自分なりに考えてみた。
その①
楽曲って、すごく背伸びをして
格好つけていると思う。
印象的なキーワードを使おうとか
抽象的な表現にしようとか
おしゃれなコードを使おうとか。
その格好つけ加減が
今となれば格好悪い。
その②
それもそのはずで
本は明確なペルソナやメッセージがある。
「どういう人に、この本を読んで、どうなってほしい」
という。
例えば
「子育てに悩むママが、
少しでも『べき』や『ねばならない』から
解放されてほしい」
とか。
一方で、楽曲の場合、目的が
「格好いい曲を作りたい」
「格好いいと言ってもらいたい」
「え、こんなコード使うのと驚いてもらいたい」
とかだ。
だから、薄っぺらい。
その③
それゆえ、ある意味当時の定番にのってしまうから
古臭く感じる。
例えば構成にしても
昔の定番は
intro→
#1(Aメロ、Bメロ)→サビ→
#2(Aメロ、Bメロ)→サビ→
solo→
#3(Aメロ、Bメロ)→サビ→
Cメロ→
サビ→サビ
end
だった…長い。
今は、短い曲が好まれるので
こんな長い曲を聴くと
「くどい」って思ってしまう。
しかも、「#3まで作らなければならない」
って無理やり作った歌詞だったりする。
それじゃ、自分の心にも入ってこない。
その④
最大の理由は
年を取って価値観が変わってしまったからだ。
具体的には
表現したいものが
「ハードな強さ」
から
「やさしい強さ」
「おもしろい強さ」
にかわっていった気がする。
余談だけど
鮎川誠さんも三宅伸治さんも
バリバリのロックンローラーだけど
超紳士的で超やさしい。
さて、別の話。
昨日、人生で初めて
英語歌詞の唄を作ったけど
詞の当て方が全然違う。
簡単に言えば「詰め込める」。
で、細かな新しいメロディーを作れたりする。
昨日、紹介したEnya調の曲。
音稲さんがこれきいて
「…手嶌葵やん…」
確かに…
で、この修正プロセスで
プロンプトを間違ったのか
AIが曲の解釈を間違ったのか
「こんなアレンジもできますよ」
と気をきかせて提案してくれたのか
よくわかんないけど
全然、違うアレンジもできた。
イメージとは全然違うので
ボツなのだけれど
まぁ、絶対に自分では作らない、作れない楽曲だし
記録として。
七山村の名もなき藤。
今年は、冬の雨不足で
藤の花の密度も少なく
長さも短いみたい。
