食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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人生は出会い10-浜地酒造との出会い-

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 前述のデカタ参加や地域連携活動が実現できたのは、浜地酒造との出会いがあったからに他なりません。浜地酒造は、明治3年から元岡地区で酒造りを続けている造り酒屋です。

 浜地酒造の常務、浜地浩充さんと出会ったのは、2004年1月のこと。浜地さんはマスコミなどを通じて環境創造舎の活動を知り、「一度、酒でも飲みながら語りませんか」と学生スタッフを酒蔵に招いてくれたのです。


「酒は水が命ですよ」、浜地さんは杜氏が使う酒蔵の小さな部屋では切り出しました。小さい頃に裏山で遊んだ記憶、九州大学がやってくることによる開発への期待と農村景観を残したいという地元地域の本音、裏山が造成され酒造りに使う地下水に影響が出るのではないかという不安。たっぷり話し合い、じっくりと酒を酌み交わしました。
そして、フラフラになった頭と身体で、浜地酒造と環境創造舎の活動はつながっているのだと言うことを実感しました。酒は水から生まれ、水は森で育まれるのだから。

 

「どこにおると~」と奥様が浜地さんを探しに来て「酒樽に落ちとんかと思った!」と言われた瞬間にみんなシャッキリと背筋が伸びましたが。

 

その後も、浜地さんにはよくお酒を飲ませて頂きました。当時、百道浜にあった直営の高級居酒屋にもご招待頂きました。

 


お金のない学生にとっては本当にありがたかった。「酒なら、腐るごとありますけん」「おもしろおかしゅう行きましょうや」と少年のような笑顔で笑いかけてくれます。その一方で、企業経営者としての戦略性、発想力、行動力も背中で教えて頂きました。

 

今でこそ「成功の確率を上げるには行動の数を増やすこと」なんて普通に語っていますが、「10やって、1成功すれば、大成功ですよ」とはじめて教えてくれたのは浜地さんです。真面目な九大生であった私の「失敗したらいけない」「お金を失うのが怖い」という観念は、お酒と一緒に溶けていきました。
よく考えれば、人生ではじめていろんなことを語り、教えてくれた企業経営者でした。

 

 さて、浜地さんと出会って1年後、『九州大吟醸』は誕生しました。

 

 よく、「九州大の吟醸ですか?九州の大吟醸ですか?」と聞かれるが、九州大の大吟醸です。九州大学ブランドマークがデザインされたボトルの中身は、糸島産山田錦を40%にまで精米して吟醸造りした大吟醸酒。正真正銘、九州大の大吟醸です。


 特筆すべきは、その仕組み。九州大吟醸の売り上げの5%が、九州大学及びその周辺地域の環境保全活動費として活用されます。飲めば飲むほど緑が増えるというわけ仕掛けです。

 

 環境創造舎は、その環境保全活動の企画・運営を担い、学生、市民が一緒になって九州大学及びその周辺地域の環境保全活動を行います。
 学生・教員は九州大吟醸の企画会議から、具体的な仕込み作業や搾り作業にまで携わりました。九州大吟醸というネーミングとボトルのデザインは、九州大学大学院芸術工学研究院の教授によるもの。九州大学の研究成果である「味覚センサー」による、九州大吟醸の味の科学的分析も行いました。こうして、浜地酒造、環境創造舎、九州大学三者の協力により九州大学ブランドの地酒『九州大吟醸』は生まれました。

 


 九州大吟醸には『しずく搾り』(500ml、2,000円)と『手づくり』(500ml、1,200円)の2種類があり、2005年度は、それぞれ2,000本と4,000本を準備。日本酒の消費量が年々減少していて、大学のコンパなどの場では、大学生も全く日本酒を口にしません。


 そうした状況で、果たして九州大吟醸が売れるのかどうか、大きな不安がありましたが、しずく搾りは、発売後3ヶ月で完売しました。手づくりもその6ヶ月後には完売しました。その結果、20万円もの環境保全活動費が蓄積されました。
さて、これをどのように活用するか。

 

 浜地酒造の位置する元岡の集落と九州大学との間には荒れ果てた森があります。もとは里山として利用されてきた森ですが、人の手が入らなくなり、竹が生い茂る鬱蒼とした森になってしまっています。

 

 この森を、ヤマツツジの咲き乱れる里山に再生しようということになりました。関係としても、空間としても元岡と九州大学との間を豊かにしようとストーリー。以前、ヤマツツジはどこの里山にも多く見られたのですが、最近は里山が荒れ、その姿が見られなくなり、九大伊都キャンパスの用地にも、数株が残る程度。

 

 その種を集め、苗を育て、竹を切り開いて、森に光を入れ、ヤマツツジの苗を植樹します。地元の植物の苗で森を育てるという伊都キャンパスの保全事業の考えにも沿った計画です。

 

 2005年の4月に種をまいたヤマツツジは、半年をかけて10cm弱の苗に育ち、10月30日、地元の小学生の手によって植樹されました。

 

 「育つ祈念碑だ」と皆で未来を思い描きました。

 

 数年後、この祈念碑が鮮やかな花を咲かせる頃には、この小学生たちは九州大学の学生となっているかもしれません。再生された里山の満開のヤマツツジのまわりに、皆が集まって九州大吟醸を酌み交わす。

 

 そんな未来です。

 

 

 

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