食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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大人論

先日の
『ゴーシ先生の未来を創る教室』。

 

授業の最後に先生からの質問、宿題。
「なにができるようになったら、大人ですか?」

 

ある参加者親子。

 

各々、考えてみました。

◇長男…人に優しくできるようになったり、ちゃんとしたお金の使い方(使いすぎたりしないとか計画を立てて使うとか)ができるようになったら。

◇次男…小学校とかでいっぱい習ったことをやれるようになったら。

◇わたし…自由のなかにある責任に気づけるようになったら。

 

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 ケンも

patakokun.hatenablog.com

 


ゴーシ先生もその「応え」を考えてみました。

 

そしたら…
結構むつかしい(笑)

 

 

年齢とか
保証された権利とか
税金を納めているとか
思慮分別があるとか
そんなコトじゃない。

 

ちなみに税金なら
赤ちゃんだって消費税を納めてます。

 


ゴーシ先生
以前は
「自立すること」
「できることがふえること」
としていたけど
これも正解じゃない気がしてきました。

 

自立できてない人は
間違いなく大人じゃない。
じゃぁ、大人が「できるか」
というと
「できない」大人もめちゃくちゃ多いです。

 

 

かく言う私も
米さえ作れないし
刃物だって研げないし
電気さえ作れません。

 

多分、原始時代から江戸時代くらいまで
いや、戦後ちょっとくらいまでは
「自立すること」
「できることがふえること」
が大人であったはずです。

 

できるとgiveできるのです。
できないと生きていくために
takeするしかないのです。

できることが増えれば
giveできることが増える。
子どもはできないことが多いので
生きるために
takeするしかないのです。

 

 

戦後ちょっとくらいまでは
日本の社会も
ほとんどが農家で
農家は百姓と言われるように
百の仕事ができていました。

農業も大工も土木仕事も
木工も溶接も、なんでもできていました。
鳥を捕り、海に潜り。
詩を書き、絵を描き
芸術、文化を嗜んでいました。

 

つまり
「自分の力で
 自分の命と暮らしを
 再生産できること」
これが大人だったはずです。

 

そっか。
これが大人の定義。

 

 


しかし、現代社会は
高度に分業化が進んでいます。

 

みんなスマホもPCも使いこなしていますが
誰もそれを作ることはできません。

 

生きるために必要な
食べ物も
服も、家さえもです。

 

現代社会における大人は
自分の命と暮らしを
自分で再生産することさえも
できないのです。

 

ではなぜ、
生活することができるかというと
高度の分業化された社会の中で
その分業化された一部を担って
お金に変えているからです。

 

簡単に言えば
自分の時間、自分の労働力を
商品として資本家に売り、
お金に換えているからです。

 

これが資本主義経済の本質です。

 

そのお金を使って
分業化された現代社会の中で
生きています。

 

とすれば
「自分という労働力を
 商品として売れるか」
が大人かどうかをわける
基準になるかもしれません。

 

 

当然、資本家、経営者からすれば
労働力を雇うには
「いろんなことができる大人」がいいし
「失敗しない大人」がいい。

 

だから
自分という労働力を
商品として売るために
学歴が必要だったのでしょう。

 

そのための人材育成が
教育だったのでしょう。

 

ここまでまとめると
大人の条件とは
普遍条件:自分の命と暮らしの再生産
~戦後すぐ:自立、できる
~成長社会:自分という労働力を商品として売れる
となります。

 


しかし、これらの社会を考えると
話は複雑になります。

 

働き方が組織から個にワークシフトし
AI、ロボットが人間労働を
奪っていきます。

 

とすれば
自分という労働力を
商品として売れない人も
どんどんと生まれてくるということです。

 

つまり
現在もニートやパラサイトシングルなんていう
人とは呼べない大人が
多数存在していますが
これから先、
もっと増えるかもしれません。

 

一方で
将棋の藤井君とか
卓球の張本君とか
身近なところでは
中島バオ君とか
大人以上の付加価値を生み出し
大人を感動させ
大人を軽々と越えていく
若者、子どもも
たくさん生まれています。

 

つまり、自分を労働力として売る
という根本が壊れだした現在
付加価値を生み出せる人間が
giveできる人間になるということです。

 

とすれば
前述の藤井君や
付加価値を生み出せる人間は
これから先
子どものほうであり
子どものほうが大人なのかもしれません。

 

 

ちなみに。

 

 

ゴーシ先生は
「子どもみたい」
とよく言われます。

 

こんなに働いて
こんなに税金をおさめて
こんなに思慮分別があるのにです(涙)

 

だけど
「子どものほうが大人なのかもしれません」
という意味は
そういうところにあるのかもしれません。