父、史朗は、私が20歳になった年に亡くなった。
享年47歳。
もし、父が生きていたら
と考えることはあるけど
もし、父が生きていたら
間違いなく、今のゴーシ先生はない。
だから、ある意味、死んでよかったと思っているし
そのおかげで、今の自分があると思っている。
親がいなくても子は育つ。
むしろ親がいないほうが子は育つ
こともある。
「子どものために死ねない」
という方がいるが、それは、
子どものためではなく、
子どもが育ちゆく姿を見ていたいという、
単なる親の望みなのだと思う。
ただし、私の場合、
父は自分が死ぬと知らずに死んでいったから、
私への最後のメッセージなどはもらっていない。
父が亡くなってしまって唯一の心残りは、
一度も大人同士の話ができなかったこと、
男同士の話ができなかったこと。
「子ども」としての唯一の心残りだ。
そこでAIだ。
自分が死ぬことにあまり心残りはないけれど
子どもたちに
「一度も大人同士の話ができなかったこと」
なんて思いはさせたくない。
現在、chat-GPTをはじめ生成AIの進歩がものすごい。
AIに個性を持たせる技術も目前だという。
とすれば
そのAIにゴーシ先生の著作、blog、youtube
FB、インスタすべて読み込ませる。
そうすれば、ゴーシ先生っぽい思考、発言も可能。
AIで年をとった姿を生成することもできる。
Meta Questみたいなゴーグルつければ
目の前に、その年になった私が3Dでいて
それっぽい思考や発言もしてくれる。
さらに言えば
パパは、自分と同じ年齢の頃
どんなこと考えてたんだろう?
なんてこともできるようになる。
つまり、いつでも
どんな年齢のゴーシ先生とも話したり、
相談できるわけだ。
「一度も大人同士の話ができなかったこと」
なんて思いは、一応なくなる。
そう考えていけば
死んだ後の話だけではない。
AIゴーシ先生もできちゃう。
ゴーシ先生に相談したい、
なんてニーズはなくなる(笑)。
だからこそ
本物、生、今
が本当に大切になる。
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