食育研究家。九州大学講師/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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福岡教育大学同窓会、講演文字起こし①

皆さん、こんにちは。


佐藤剛史と言います。
こういう母校に錦を飾るような機会を与えていただき、本当に感謝をしております。皆さんの期待に120%応えられるように、精一杯お話をさせていただきます。

今日は、「食育の話を中心にお話を」ということなんですけど、私が福岡教育大学を卒業して、どういう人生を歩みながら、「食」や「教育」について、何を学んで、人々に伝えてきたかっていう、二本立て、パラレルな構成でお話をしていこうかなというふうに思ってます。

先ほど紹介がありましたように、平成4年入学です。
学籍番号が042102です。
あ、そんなメモしなくていいです。

大学中はですね、サークル活動に明け暮れていました。
軽音楽部でした。あまり評判の良くない(笑)。

皆さんの世代はどうかわかりませんけれども、僕らの世代は旧食という、古い方の学食の後ろ側の入り口近くに陣取っていて、「すごくなんか怖い人たち」みたいに思われてたんじゃないかなと思っています。
4年間、本当にバンド活動に溢れてました。

当然、皆さんと同じかどうかちょっとわかりませんけど…
あ、すみません、皆さんの中で教育関係者という方、手を挙げていただきますか?
みんなそうなんですか!

皆さんと同じように、大学3年の頃に教育実習に行って、大学4年で教員採用試験を受けました。

 

全く勉強してなかったんで、大学4年の時の教員採用試験は見事に不合格になりました。どうしようかなと思ったら、大学院があるということを知って、そのまま社会科の大学院に行くことになりました。
実は大学3年の時に親父が急に亡くなってしまったので、もうこれ以上おふくろの脛はかじれないということで、修士2年の時は一生懸命勉強したつもりでした。それでも、大学院の2度目の教員採用試験、これもまた落ちてしまいました。
はい、こんなに優秀なのに。

 

後日談がありまして。

 

あんまり大きな声では言えないかもしれないですけど、その数年後にですね、大分県教員採用試験汚職問題が明るみになったんです。大分県で学校の先生になろうと思ったら、トキハというデパートの商品券50万円くらいが必要だったみたいです。
そんな事件があったんです。
当時は、倍率がすごく高く、40倍とかでしたから。一人でもそれをやっちゃったら、その人が通っちゃうので、もう他がアウトになるみたいな世界だったと思うんです。

でも、今、僕は幸せに生きてるので、大分県教育委員会にはすごい感謝をしています。「皆さんのおかげで今の僕があります」と。


そうして、大学院修士二年の時に、教員採用試験を落ち「これからどうしようかな」と考えていました。
先輩方見てみると、講師という形で学校に配属されて、経験を積みながら勉強を重ねて正式採用を目指すという方々が相当いっぱいいたので、自分もそうなるんだろうなって思っていました。

修士論文を書く過程で、九州大学農学部の先生に出会ったんです。
社会科で農業地理という分野で論文を書いてました。
福岡教育大学には農学部がないので農業の本とかあんまりないわけです。それで、「もしよければ九州大学に行って農業の本読ませていただけませんか」っていうお願いをしたんですね。
そしたらその先生が「君、やる気があるね」と。「もしよければ九州大学農学部の博士課程に来ないか」となって、試験を受けたら通ったんですよ。
今考えれば、その成績が優秀だから合格したということではないと思います。
定員を埋めないといけないんです。大学の事情で定員が埋まらないと、予算が削減されていくみたいな。僕も大学教員だったからよくわかります。
まあそれで「おお、いいところにいいやつが来た、埋めとこうみたい」な感じだったと思うんです。
それでも、九州大学に入学することができました。
でも入ってからが大変でした。
今まで、勉強は全くしてない上に教育学部で社会科、それがいきなり農学部の博士課程ですよ。全く話がわからないです。全然ついていけないんです。
で、どうなったかといったら、学校行きたくないなって思うようになってですね。25歳で不登校です。

他の同級生は、22歳で卒業して就職して、給料稼いで親に仕送りしたりとか、場合によっては結婚してる友達もいましたけども、自分はまだ学費を払いながら全部仕送りをしてもらってて、しかも不登校という状況です。
本当にその時はですね、すごい思い悩んでて、「自分っていない方がいいんじゃないか」というぐらいまで思いました。「親に迷惑かけてるし、何もできないし、何の価値もないんじゃないか」っていうぐらいまで。「自分の生きる価値って何なんだろう、存在意義って何なんだろう」って思ってました。

ただまぁ、何かしておかないといけないと思いました。
お勉強だと他の同級生と大学4年、修士2年の6年間の差があるわけです。絶対勝てないです。一生懸命一年努力したくらいで、この六年の差って追いつけないです。じゃあどうしようかって考えたときに、よし、僕は机の上の勉強はもう絶対追いつけないけど、現場で学ぼうということで、農家の知り合いのところに修行に行くことにしました。学校にもちょこちょこ行っていたので、金曜日の夜に福岡市を出かけて、今八女市になってますけど、当時の黒木町というところに、椿原さんという方がおられました。そこのお家に行ってですね、ご飯、金曜日の夕食、ご飯食べさせてもらって、土曜日、朝早起きして農作業して、朝ごはん食べて、農作業して、昼ごはん食べて、昼寝して、また農作業して、夕食食べて、お酒飲みながらいろんなことを教えてもらって、日曜日も同じ感じ。月曜日の早朝に福岡市に戻ってくるという生活を約一年間続けました。
そうすると、だんだん自分に自信ができてきたんですよ。同級生は机の上の勉強はすごいできるんだけれども、コンバインの手入れの仕方とか知らないですよ。僕、草刈機の刃の研ぎ方まで分かってましたから。
例えばお米の生産費が60キロあたりどんくらいがどんくらいになりましたって、論文のデータとして出してくるんですけど、「それってさって草刈機の減価償却費って入ってるの?」「当然、入ってるでしょ」「でもさ、その草刈機って山でも使ってるよね」みたいな。
「稲刈りするのにコンバインで稲刈ってるけど、その田んぼってどんな形なんだろうね」って。長方形の田んぼと正方形の田んぼって、稲刈りの時間が違うんですよ。長方形の田んぼの方が効率がいいんです。Uターンの回数が少ない方がいい。
そういうことがわかるようになってきたんですよ。
それでもいろいろ悩みながら、だんだん自信ができていきました。

 

(つづく)

 

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