高校の時だ。
現代文の時間。
題材は『羅生門』。
【羅生門のあらすじ】
ある日の暮れ方、
仕事をクビになって途方にくれる下人が、
荒廃した羅生門の下で雨やみを待っていた。
彼が門の楼上に登ると、
女の死体の髪を抜く老婆がいた。
憎悪を抱き、
力で老婆を押さえつけた下人だったが、
老婆から生きる為の悪事を正当化する言葉を聞く。
下人の心に悪を肯定する勇気が湧き
「自分もそうしなければ餓死する体なのだ」
といい、
老婆の衣服を剥ぎ取って
夜の中に駆け去ってしまう。
授業の最中
先生が
「下人が、
老婆のぬいぐるみを剥いで行ったのです」
一瞬、教室が
ピキッとなりました。
授業終了後、悪友たちと集まり
「先生、ぬいぐるみを剥ぐって言わんかった?」
「俺もそう聞こえた」
「でも、国語の先生やからなぁ」
真相は分からずじまい…
確認のしようがない…
と思っていましたが…
次の現代文の時間。
先生が
「前回の続きです。
老婆のぬいぐるみを剥いで行った下人は…」
悪友たちと
目を見合わせ
笑いをこらえるのが必死でした。
そういう勘違いって
専門家でも、プロでもある。
私だって教育者だけど
「陶冶」(とうや)…才能・性質などをねって作り上げること
を
「陶治」(とうち)
と思っていたし。
↑youtube、チャンネル登録、お願いします
不定期8:00に配信、ゴーシ先生のLINE公式↓
この記事に、いいね!
と思った方は是非、読者登録を↓(blogを更新するとお知らせが届きます)