芭旺君は
『見てる、知ってる、考えてる』
の中でこういうことを言っています。
起こった出来事は一つだけどその気分は自分の変換機ひとつですべての意味が変わってくる。
「馬鹿」という言葉にしてもそれはいいことでもないし悪いことでもない。言葉に意味はない。言葉に意味を作るのは自分だ。
物事に重さはない。ただ、その人が「思い」と感じている。ただそれだけ!
これ、
なかなか深くて
現象という100%事実があるとしても
それを認識、理解できるのは
自分次第なのであって
自分の認識、理解方法では
100%事実の現象だって
事実じゃなくできる
というようなことを
言ってるのだと思うんです。
この思考方法のすごさを
なんとか理解しやすいように
表現したいと
5段階のゴーシモデルを考えてみたのでした。