先日の岩切やよいさんのお話を聞き
中島芭旺君の『見てる、知ってる、考えてる』
を読み直し、
「なぜ、こんなに思考、行動が自由なのだろう?」
と考えています。
そこで、
ゴーシ先生なりのモデルを考えてみました。
まず、目の前である現象が起きます。
目の前に彼岸花が咲いていたり
子どもが「学校に行きたくない」と言い出したり。
これは100%事実です。
私たちはまず、それを認識します。
事実として認識されますが
重要なのは現象の100%を
認識できていないということです。
見えていないこと、
感じ取れていないことも
たくさんあるのだということを
知っておかなければなりません。
次に、その認識を「理解」します。
その理解のために必要なのが言語能力であり
語彙力がその理解を規定します。
具体的に例えれば。
「好き」「嫌い」という語彙しかなければ
目の前にいる人は
「好き」「嫌い」のどちらかです。
でも、
「狂おしいほどに恋い焦がれる」
「命を懸けていいほど愛おしい」
「夜眠れないほど憎らしい」等々の
言葉を知っていれば、
目の前の人を、
そういう存在として理解することができます。
つまり、
言語能力、語彙力が
理解の正確性、
それから多角性も保証すると思うのです。
その次に、「思考」がはじまります。
思考も100%、個人の自由なのですが
そう自由には思考できません。
これまでに刷り込まれた常識や
「~べき」「~ねばならない」
という観念があるからです。
そんな常識や観念から
思考を解放し
その幅を広げ、
深さを掘っていく必要があります。
そのときに必要なのが
出会いであり、他の人の話を聞くこと。
でも、人に会い、話すのは
物理的な限界があるので
読書が有効になります。
読書によって
その著者と自分との脳を繋げ
その人の思考方法を手に入れることができます。
やよいさんにも
「本読んでるでしょ!?」
と質問したら
「息を吸ったら吐くという位の
ただの日常だから
本がめっちゃ好き!
ということすら気づかない感じ」
とのこと。
芭旺君、お母さんの読んでいる
堀江貴文さんの本を読んで
「この人に会いたい」
となったらしい。
思考の幅が広がれば
理解にフィードバックされ
「その理解でいいの?」
となり質が高まる。
再び、思考の質が高まり
行動の質が高まります。
つまり、読書が
理解の質を高め
思考の質を高め
行動の質を高める。
だから、人生の可能性を広げる。
『見てる、知ってる、考えてる』
を読み直して
カントみたいなこと考えてしまった(笑)