その⑬-2000/10/6~、実りの秋と収穫祭-
9月の下旬になると、穂はどんどんと米らしくなっていった。緑色だった穂は、白黄色っぽくなり(黄金色には見えないなぁ)、頭を垂れていった。
しかし、頭を垂れるということは、倒れやすくなるということでもある。特に、屋上田んぼは6階の上。普段でも風が強い。強風が吹くと、稲が倒れそうになる。でも、屋上田んぼが狭いこと、そして、田植え時に張ったテグスに引っかかってなんとか持ちこたえる。しかし、一番端の穂はテグスの外に出てしまう。これをスズメやカラスが狙っている。
一粒でも米を確保しようと、手で稲の傾きを直そうとするが…しかし、僕たちは無力だ。屋上田んぼの稲全体が一方向に傾いているのでどうしようもない。そして、テグスからはみ出てしまった穂は次々にスズメやカラスにやられてしまう。害虫もスズメ、カラスだって生態系を支える命だとする考えと、一粒でも米をとりたいというお百姓の価値観との葛藤に悩みながら、どうしようもない無力さを感じ、あきらめ、納得する。
スズメやカラスにやられないように、一粒でも米を多くとるためには、適期にできるだけはやく稲刈りをするしかない。籾の状態を注意深く調べて、稲刈り、収穫祭の日を決定。10月6日、金曜日だ。当然、飲み過ぎてもよいように金曜日なのだ。
10月6日(金)、いよいよ収穫祭当日。正午を過ぎてから買い出しに出かける。稲刈りのための鋸鎌、バーベキューのための木炭、着火剤、食料、そしてビール。なんとか、午後2時に間に合う。そして、ぞくぞくと人が集まってくる。
今日は、この数ヶ月間の僕らの努力と成果の集大成だ。思い出せば、バケツ稲作りにしても、屋上田んぼにしても美味しいお酒を飲むという陰の一つの目的が僕らの行動力を支えてきた。そして、今日は最高に美味いお酒が飲める日だ。同じ農業経済学教室の学生はもちろん、留学生の友達、あまり学校にこない真面目とは言えない学生、居酒屋で知り合った農学部の仲間、その居酒屋のオーナー…僕たちと同じ、面白いこと好き、美味しいお酒好きの人間に声をかけ、その結果、結局20人前後の友達が屋上田んぼを取り囲むこととなった。
でも単なる酒飲みの場で終わらすわけにはいかない。同じ農学部の仲間もいる。農業に触れたことのない人間もいる。少しでも、この思い、農業の面白さ、すごさを伝えなければ、屋上田んぼの意味がない。
屋上田んぼの周りにいすを並べ、僕は話をはじめた。まず、屋上田んぼをつくった経緯から。そして、屋上田んぼを通じてわかったこと、思ったこと。この日誌で書いた内容の一部を語る。
それから、今日の作業の説明。鎌の使い方、はさ掛けのし方。なぜ、米は乾燥させないといけないか。この籾をご飯にするためには、どんな作業が残っているのか。どれだけの稲でご飯一杯分になるか。1年間、ご飯を食べるためには、どれだけの面積の田んぼが必要か、等々。農学部の仲間でも、飲食業を営んでいる人でさえも、そんなことは全く知らないのだ。
そして、タネをばらせば、僕だって少し前までそんなことは知らなかった。しかし、収穫祭で少しそんな話をしようと決めてから慌てて宇根さんの『田んぼの学校』を開き直した。屋上田んぼという経験に裏付けられて、本からの知識もスラスラと入ってくる。その話をしてみんな頷く。
作業開始。学生、社会人、日本人、外国人、入り乱れての稲刈り。ベテラン中のベテラン朴さんから鎌のひき方についての指導がとぶ。稲刈りが初めて人は、普通の鎌と鋸鎌、どちらが使いやすいか話し合っている。「こんな経験は初めて」と声があげる。これだけの人数が集まれば、二畳ほどの屋上田んぼで一人が刈れる稲の量なんて限られてる。だからみんな名残惜しそうに、いろんな話をしながら丁寧に刈る。そんな雰囲気を掴みきれていない五日前に来日したばかりの沈(シム)さんは、驚くべき勢いで刈ってしまう。皆は顔を見合わせて苦笑いする。
この田んぼの中にドジョウがいることを話し、土を少し掘り返してみる。結局、ドジョウを確認することはできなかった。しかし、ドジョウは肺呼吸ができ、田んぼの土の中で、少しの水分があれば生きていられること、そして、今普通の田んぼではドジョウがいなくなっていることを話す。
稲刈りが終われば、屋上田んぼの上に、はさ掛け。はさ掛けが終わると、スズメやカラスにやられないようにまたテグスをはる。これまでのカラスやスズメとの戦いの過程が自然と口をつく。
そんなたくさんの人々と思い、笑いに囲まれて屋上田んぼの稲刈り、はさ掛けは終了。今まで、屋上田んぼにしっかりと根を下ろし溢れんばかりだった稲は、すっかりと刈られてしまった。屋上田んぼは田植え前の、ただの箱と土に戻った。でも、その上には、はさ掛けされた逆さまの稲。ほんの二畳ほどの空間に日本の四季ができあがる。
それから大収穫祭のスタート。気持ちよく乾杯し、ビールを飲みほす。バーベキューに舌鼓を打つ。福岡の街に沈んでいく夕日を眺め、日が沈むと肌寒くなった風を感じる。日本農業新聞の高川さんも駆けつけてくれた。屋上に田んぼという非現実的な空間と、収穫の喜び、そして多くの人々が集まってくれたことで酒がすすみ、宴は更に盛り上がる。
でも、屋上田んぼを作り始めてから何度となく繰り返された屋上での宴もしばらくはお休みだ。改めて、はさ掛けされた稲を眺め、一人感慨に耽る。
来てくれた人に挨拶回りをすると、「いい経験をさせてもらって、そしてこんな素晴らしい飲み会に呼んでくれてありがとう」とみんなに声をかけられる。いやいや、わざわざ来てくれてありがとう。
屋上田んぼのおかげでどれだけの人や想いが繋がっただろう。「佐藤くん、稲刈りには呼んでね。コンバイン持っていくよ。」といってくれたお百姓や、「稲刈り、絶対に呼んでね」といってくれたボランティア仲間のおばちゃんたちのことを思い出す。
屋上田んぼを支えてくれたみんな、ありがとう。そして屋上田んぼ。本当にありがとう。
後日、はさ掛けした稲を部屋の中に取りこんだ。
そして終盤の作業、脱穀の開始。輪ゴムで縛った割り箸で、穂をしごいていく。わずが二畳とはいってもその藁の量、穂の量は半端じゃない。やってもやっても脱穀していない穂が残っている。しかし、籾の量はそれほど袋にたまっていかない。地道な作業だ。
みんなで「勉強の間の暇なときに楽しみながらしようね」と約束。そう、農業は、時間と労力を有効に使わなければ。作業に縛られたらいけない。でも、今日やらなければと決めたら、睡眠時間を割いてでもバリッとやる。それが農業だ。
その⑭-ありがとう-
稲刈りが終わり、脱穀をし、作業は部屋の中に移ってしまった。
以前のように、毎日の田回りや害虫、カラスやスズメの害、水不足に気にすることもなくなった。当然僕も、辻くん、贄田くん、横手くんの4年生も屋上にあがる機会がめっきり少なくなった。
半年前と同じようにずーっと机に向かっている日々が続く。3人の4年生は無事、大学院に受かった。僕も、いくつかの論文を書き上げた。当然、一日の作業で疲れたお百姓が読めないような堅苦しい論文だ。
辻くん、贄田くん、横手くんの3人は卒業論文を書き、僕は学術論文を書くために、再び机に向かい本を読み込む。そして、そうして得た知識を基に論文を書く。でも、屋上田んぼで得た多くの経験や知識、知恵はまだまだ論文に活かせそうもない。
そう、僕たちが屋上田んぼで学んだものは、本を読んですぐ論文に利用できるような表面的なものではない。もっと奥深いこと。姿勢だ。
僕の胸に突き刺さっていることがある。
集中講義などの機会に九大に他大学から先生がやってくる。最初の時間は決まって自己紹介だ。そのときに将来の夢や目標を言わせられることもある。僕は米、田んぼをつくりたいという。僭越ながら、「お百姓になりたい」ともいう。最大限の敬意を込めた「百姓」という言葉を使って。
しかし、その場にそんな大学院生は一人もいない。陰で「百姓になるくらいなら、大学院とかに来んで、今すぐにでも農業すればいいやん」とも言われる。その通りだ。でも、こんな農業の素晴らしさを教えてくれたのは素晴らしき百姓だし、その出合いを与えてくれたのは九大の大学院だ。だから後悔はない。
今の九大の農学部、特に大学院生は百姓になる気なんかさらさらない。むしろ、絶対にしたくないとさえ思っている。確かに、高い授業料を他の人以上の年数払っているのだから、授業で習う経済的に厳しい農業の世界に、自ら飛び込むことはできないのだと思う。
こんな話を有機農業のお百姓にする。すると、「そのとおり。その学生は百姓をバカにしとる」。言葉は続く。「…でもな、学生を責めたらいかん。そんな学生にバカにされる農業をしている今の百姓が悪い。」
これが、お百姓だ。でも、そんなお百姓の考えは、お百姓の目線になって、腹を割って話さなければ分からない。机にしがみついていたら一生分からない。
お百姓の気持ちや、農の神髄はまだわからなくても、 僕たちは、それを分かるための方法を学べた。屋上田んぼのおかげで。簡単なことだ。農を好きになればいい。農を知るためにこちらから近寄っていけばいい。何も知らないことを認め、最大限の敬意を払って、自分でやってみればいい。その一歩を踏み出すことだ。
少しは、田んぼの話、米作りの話ができるようになっただろう。これからも、田んぼの中でお百姓と同じ目線に立ち、多くのことを学ぼう。
稲も、水も、田回りもなくなり、屋上田んぼはひっそりとしている。
でも、田んぼの隣に立てば、この数ヶ月間と同じ気持ちが蘇る。
さぁ、次の一手はどうしようか!!
夢は膨らむ。やりたいことは山のようにある。
この屋上田んぼで穫れた米でドブロクをつくる。
屋上大豆畑をつくり、屋上田んぼの藁で納豆をつくる。
この藁で、注連縄や草履を編む。
屋上田んぼにレンゲをはやし、地力を増す。同時に養蜂したり。
屋上のコンクリートに生える雑草で堆肥をつくる。
合鴨を入れる。
夢は膨らむ。でも、屋上で米を作れたのだ。夢が夢でなくなる可能性は十分にある。
いっぱい楽しんで、いっぱい学ぼう。それが田んぼの学校だ。農だ。
たまに、ふと思いついたように屋上にあがってみる。
稲の切り株からは彦生えが覗いている。その彦生えは、冬の寒風にも耐えるだろう。僕たちが田回りをしなくなっても、給水をしなくなっても、力強く成長を続け、そして実を結ぶだろう。
自然の力はすごい。
そして、その田んぼに教えられた僕たちも自然に負けないくらいに成長していこう。屋上田んぼは僕たち自身なのだから。
おわり。
-参考にした本・引用した本・面白い本-
秋山豊寛『農人日記』新潮社、1998.
日本生態系協会『環境を守る最新知識 ビオトープネットワーク-自然生態系のしくみとその守り方-』信山社サイテック、1998.
長谷部亮『水田をつくる微生物』農文協、1997.
古野隆雄『合鴨ばんざい-アイガモ水稲同時作の実際-』農文協、1992.
古野隆雄『無限に拡がるアイガモ水稲同時作』農文協、1997.
宇根豊・日鷹一雅・赤松富仁『減農薬のための田の虫図鑑』農文協、1989.
宇根豊『減農薬のイネつくり』農文協、1987.
宇根豊『田んぼの忘れもの』葦書房、1996.
宇根豊『田んぼの学校』農文協、2000.
【あとがき】
僕は幸せです。人との「御縁」に恵まれています。
この屋上田んぼにしてもそうです。
横川教授がいなければ、屋上に登るどころか九大の門をくぐることさえできませんでした。
辻くん、贄田くん、横手くんという素晴らしい後輩がいなければ、とても屋上田んぼを完遂することは不可能でした。
高川さんがいなければ、屋上田んぼが日の目を見ることはありませんでした。
なによりも、椿原さん、宇根さん、八尋さん、古野さん、筋田さん、田中さんという素晴らしいお百姓に出会わなければ、屋上に田んぼをつくるどころか、「農業は楽しい」とさえ思うことさえできなかったでしょう。その他にも、たくさんのお百姓から多くのことを教えてもらいました。
今の僕があるのは、そんな多くの人々のおかけです。
このレポートは、僕を支えてくれる多くの人々に対するささやかな感謝状です。
まだまだ、お世話になるつもりですので、「ありがとうございました」はもう少し先にとっておきます。
これからも、一所懸命、頑張ります。よろしくお願いします。
2000年11月2日 佐藤剛史 雨上がりの秋の日、屋上田んぼ下の教室で
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