ある人に出会えば、その人と志を同じくする仲間にも次々と出会っていきます。その時期に、筑紫野市で有機農業を営む八尋幸隆さん、合鴨農法を確立・普及した古野隆雄さん、そして宇根豊さん。環境にやさしい農業を研究テーマにしていた私にとっては、いずれも、本の中の憧れの人物です。
宇根豊さんは、日本ではじめて減農薬稲作を提唱しました。当時の稲作は、カレンダーに従って、(害虫がいないのに)農薬を散布していました。それで健康被害を被る農家もたくさんいました。そこで、宇根さんは、田んぼをよく観察して、必要な場合に農薬を散布するという減農薬稲作を提唱。その仲間が八尋さんや古野さんでした。宇根さんがいなければ、日本の環境保全型農業は10年、20年遅れていただろうと言われています。
宇根さんはその過程で「害虫・益虫・ただの虫」という概念、「虫見板」「田の虫図鑑」というツールを次々と発明。宇根さんの著書『田んぼの忘れ物』『田んぼの学校』等は、当時の私のバイブルでした。
宇根さんは糸島市の農家さんを中心に環境稲作研究会を設立。そのメンバーがものすごくて、ジャンボタニシ除草法を確立した田中行成さん、カブトエビ除草法を確立した藤瀬新策さん、赤米を普及した吉住公洋さん、等々。その他にも面白くて、先進的な農家さんがたくさんいました。
当時の環境稲作研究会のメンバーは50代、40代が中心。20代なんて私一人。すごく可愛がってもらいましたし、当時はパソコンを使える農家さんも少なかったのですごく重宝されました。
私は環境稲作研究会の代表的な農家さんを調査させて頂き、その結果として博士論文を書き上げることができました。さらには、結果として、彼らを慕って糸島市に移住することになったり、彼らの子ども世代と「二丈農恵塾」を設立したり。
しかし、何より私が「格好いい」と思ったのは宇根さんの生き様です。
宇根さんは、農業改良普及センターの職員(県の公務員)でした。当時は、化学資材をいかに使って、いかにキレイな農産物を、いかに大量に作るかの時代。宇根さんは、職場の中でも異端児でしたし、外からは「宇根に〇〇峠は超えさせるな」という声があったと聞きます。
それでも宇根さんは、体制や圧力に屈すること無く、自分の信念を信じ、仲間を増やし、日本の農業を変えました。そして多くの人を幸せにしました。
そして50歳で県職を退職し、「NPO法人農と自然の研究所」を設立。
その後、福岡県の「農の恵み事業」や「生き物文化誌学会福岡大会」を一緒にさせていただいたりと、宇根さんからは学びっぱなしです。
私の人生で恩人と言える人はたくさんいますが、「師匠は?」と問われて、まっ先に挙げるのは宇根豊さんです。
つづく↓
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