「ボッチャ」を観ながら考えさせられたこと

9/4(土)、パラリンピック
「ボッチャ」という競技の中継を観戦。

 

ボッチャは脳性まひなど、
重い障がいがある人のために考案された競技で
赤と青のボールを投げ合って白い的球、
ジャックボールにどれだけ多く近づけられるかを競う。

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観るつもりはなかったのだけれど
面白くて
つい見入ってしまった。

 

団体銅メダル
おめでとうございます。

 

これ、頭も技術も使うし
健常者が絶対的に有利というスポーツじゃないと思います。

健常者も一緒にやればいいと思うのだけれど。

それこそが
真の障がい者差別のない社会じゃないかと思います。

パラリンピックの意義とは…

様々な障がいのあるアスリートたちが創意工夫を凝らして限界に挑むパラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。すなわち、共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会です。また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。

それは、そのとおりなのだけれど
結局、オリンピックとは違い
民放での生中継はほぼゼロ。

 

こんなに面白いのに。

 

そりゃ、スポンサーがつかないのかもしれないし
それは、視聴率がとれないのかもしれないし
そしてその根本は
視聴者の関心の低さにあるのでしょう。

 

つまり、私達の中には
そういう感覚がある。
残ってるということ。

 

なんかパラリンピックによって
「高い壁」
「深い溝」
があからさまになった感じ。

 

まだまだ
「高い壁」
「深い溝」
があることを知って
それを乗り越えていくプロセスの途中なのでしょうが。

 

 

 

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