食育研究家。九州大学講師/1973年、大分県生まれ。農学博士。/(コロナ前までは)年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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母校の上野丘高校からの講演依頼

昨日、高校3年生時の担任の先生から
facebookの友達申請があった。

「今更何だろう?」と思って許可すると
すぐにメッセージが届いた。

 

「お久しぶりですね!
 同窓会誌を拝見しました。
 上野丘で講演やっていただけますか?」

とのこと。
そう、依頼されて
同窓会誌に原稿を書いていたのだった。

 

見えんな。
以下、原稿。

 

私は平成4年に上野丘高校を卒業し、福岡教育大学、九州大学大学院に進学しました。以降、20年間、九州大学農学部の教員として研究・教育活動を行ってきました。

研究・教育活動だけでなく、34歳の時に書いた処女作『ここ-食卓から始まる生教育-』から数えて、20冊を超える一般書を執筆してきました。講演活動も、最大時には、年間200回を超える年もありました。

我ながら、充実した日々であったと自負しています。

令和5年、私が49歳の時に、九州大学を早期退職し、大学教員としての研究・教育活動に終止符を打ちました。理由はいくつかあります。

一つは、コロナをきっかけにした体調不良。
理由の2つ目。人生100年時代を見据えた場合、定年まで大学教員として勤め上げ、それから「さぁ、セカンドキャリア」と考えても、社会では通用しないでしょう。50代のうちから、より多様な知識や技能や経験を身につけておくべきだと考えました。

理由の3つ目。著作や講演の中で、子どもたちに「挑戦」と「成長」の重要性を訴えているのに、安定した給料がもらえる安定した職にしがみついているようであっては、正直「子どもたちに、あるべき背中を見せられていない」と思ったのです。

とはいえ、わが子は(当時)中学生で、これからお金がかかる時期。不安もありましたし、周囲からは「もったいない」、さらには「バカじゃない」という声も頂きました。
「これからどうやって生活していこう」と模索しているときに、私の住んでいる地域の行政区長をやってほしいという要請がありました。

行政区長は、地域のことを知り尽くしていなければ到底務まらず、70代が普通です。会議や行事も平日昼間が多いのも退職者でなければ務まらないのがその理由です。

私のような若い移住者(新住民)が区長を担うというのは前例がありません。

また、お小遣い程度の報酬はありますが、ほぼボランティアです。

しかし「頼まれごとは試されごと」です。行政区の皆さんは、「佐藤さんならできる」と信じて依頼してくれたのですから、その信に応える必要があります。やるまえから「できない」とは言えません。それこそ、子どもたちにそんな背中は見せられません。

また、渋沢栄一にしても、新渡戸稲造、二宮尊徳、等々、偉人の多くは地域や国家の未来のために私財を投じています。これまで学んできた「利他の心」を体現すべき時だと考えました。

やってみたら人生が変わりました。

行政区長は、地域の究極の雑用係です。

行政手続き、行政区だよりの発行・配布、区費の徴収、子どもたちの登校見守り、地域のお祭りや行事、清掃活動、神社行事等々、すべて、取り仕切らなければなりません。地域住民が知らない、私が知らなかった「やるべきこと」が山のようにあります。例えば、夜間の防犯灯(街灯)一つとっても、手続きしなければ補助金が下りず、点かないことになります。そんなことばかりです。

行政区長になってはじめて、自分たちの生活は、こうした地域の見えない活動によって支えられているということを実感しました。

そして、地域の中には、社会的弱者・経済的弱者も多数存在します。区長の仕事を超えて、高齢者の交通難民の方に車を出したり、ボランティアで庭木の剪定をしたりしています。今日は、連絡がつかなくなった高齢者の対応です。

私が、知らなかった世界が確かにそこにはありました。地域の問題、高齢化の問題等、わかったような気でいましたが、それは口先だけで、全然、寄り添えていませんでした。

一方で、ちょっとした権力は発揮できます。考えてみれば、内閣総理大臣、都道府県知事、市町村長につぐ、行政のリーダーです。しかも、議会がないので(評議員会はありますが)、いろんな改革を容易にできます。思い付きを実現できます。区長になって2年の間に、10年以上手つかずだった問題をいくつも解決することができました。

そして、それにより地域住民の生活が変わり、喜んでくれることをダイレクトに実感できます。

その端的な例が、デジタル化、見える化、効率化です。田舎の農村地域の慣例や口伝的な行事をすべてデジタル化、見える化、効率化しました。具体的には、LINEや携帯メッセージで(スマホを持ってない、LINEしてない評議員もいます。Zoomなんかとてもできません)、評議員会をリマインドしたり、書面会議に切り替えたり。

複雑怪奇な盆踊りを録画しYouTubeにupし個別練習できるようにしたり、公民館の利用申請をオンラインでできるようにしたり…。

目指すは、移住者でも、サラリーマンでも行政区長が務まるような基盤づくりです。

また、わが校区の場合、行政区長になると、校区の様々な役職も任されます。

青少年育成校区民の会長として、40mを超える流しソーメンをやったり、移動動物園を誘致したり、巨大ほうげんきょう(どんど焼き)をやったり。

偶然にも、わが校区を走るJR筑肥線が100周年を迎え、その記念事業の実行委員長として、国鉄色の列車を復活させたり、SLを走らせたりしました。また、中学校の生徒数減少がつづくなか、地域の小中学校の未来について考える協議会を立ち上げて議論をリードし、糸島市初の小中一貫校化にむけての先鞭をつけました。

これらは、九大教員のままであったら絶対に携われていないことです。

逆に、自分がいなかったら、こうしたことは実現できていなかったでしょう。
今考えれば、すべてが必然だったように思えます。

私は一度きりの人生で、全く異なる2つの人生を歩むことができて、本当によかったと思っています。

繰り返しますが、全くお金にはなりません。でも、誰かがやらなきゃいけない。

上野丘高校の後輩に伝えたいこと。
夢や目標を実現したり、スポットライトを浴びる煌びやかな世界で活躍したり、お金を稼げる仕事に就くことも大事です。私も俗物ですから、数千人の前で講演したり、テレビでコメンテーターの仕事をするのは本当に楽しかったです。

一方で、こうした地域を支える仕事は、ほとんどの人が知らない、誰もやりたがらない、誰の夢や目標に挙げられることもない、地味な地味な仕事です。しかし、それは、そこに住む人たちの生活、人生、豊かな地域を形成していくためには不可欠です。まず、そのことを知ってほしい。

次に、自分の人生でそういう役職を頼まれたとしたら、是非、引き受けてほしいと思います。

加えて言えば、これからはAIがさらに発達し、大学卒のホワイトカラー仕事はAIに代替されていくでしょう。そんな社会で活躍できるのは、フィジカルで、エッセンシャルな仕事を厭わずにできる人材かもしれません。

最後に、私はこれまで「母校に錦を飾る」ということができずにいました。附小、附中には何度も講演に呼ばれるのに、母校である隣の大道小学校、王子中学校には一度も呼ばれていません。上野丘高校にしてもそうです。

そんな想いを持っていた私に、こうした機会を与えてくれた皆様に心から感謝します。

 

講演は10月の初旬の予定らしい。

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