食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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先生の、お母さんのお料理で記憶に残っているものなんですか?

今日(8/1)の午後は
佐賀のある学校で食育講演。

 

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最後半の25分を
意図的に質疑応答に時間にしました。

 

ある方が
こんな質問をしてくれました。

 

「先生の、お母さんのお料理で
 記憶に残っているものなんですか?」

 

「二つあります。
 まず一つ目…」

 

高校時代。
 毎日、母が作ってくれた弁当を持って、大分市の上野ヶ丘高校まで通った。高校には学食があって、うどんやカレー、カツ丼などを安く食べれたが、ほとんど利用しなかった。毎日、高校に出かける前には、ちゃんと弁当が準備されていて、当たり前のように、それを持って通学し、当たり前のように昼休みにそれを食べた。土曜日でも、日曜日でも、学校に出かけ弁当が必要な時にはちゃんと作ってくれた。
 友達の中には、学食を利用する友達もいたし、売店で買ったパンを食べている友達もいたが、それについて「うらやましい」とも「俺は手作り弁当なんだ、いいだろ」とも思わなかった。
 母は「友達と一緒に学食が食べたかったら言うんよ。お金あげるけん」と言ってくれたが、ほとんど学食は利用しなかった。当たり前のように、弁当を持って通学し、当たり前のようにそれを食べた。
 当時、私は、白ご飯があまり好きではなかった。
 正確に言えば、何か、味が付いたご飯の方が好きだった。だから母は、よく、ご飯とご飯の間にシソ昆布を入れてくれたり、いわゆるノリ弁当のように、カツオブシと醤油で浸した海苔をご飯の上にのせててくれたりした。
 特に好きだったのは「肉のせご飯」だった。焼いて、甘辛い味付けした薄い豚肉を白ご飯の上にのせた弁当だ。豚肉の上には、必ずゴマがふられる。焼き肉とも違う、ショウガ焼きとも違う、我が家独特の、母独特の味だった。甘辛いタレの味が、ご飯に染みこんでいるのが好きだった。たまの「肉のせご飯」が本当に嬉しかった。
 その日も「肉のせご飯」だったのだが、高校についてカバンを開けて愕然とした。弁当箱の閉め方が悪かったのか、母がいつもより多くタレをかけすぎたのか、弁当の汁がカバンの中にこぼれていて、教科書やノートが汚れていた。
 頭の中は母への怒りでいっぱいになった。
 一日中不愉快で、大好きなはずの「肉のせご飯」も美味しいとは感じなかった。「なんでこんな弁当を作るんか!」とか「もう二度と弁当は持っていかん!」とか、そんな考えが頭の中をグルグルと回った。
 帰宅後、その感情をすべて母にぶつけた。
 母は、「ごめんねぇ、次から気をつけるけん」と私に謝った。
 私は、あの日の自分を殴りたい。

 

これは、『すごい弁当力!』の
「はじめに」に記したエピソード。

 

すごい弁当力! (PHP文庫)

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これが、反響を呼び
当時、10年くらい前は
食育の講演では毎回、語っていました。

でも、最近は
全く語ること無く…

 

「二つ目は…」

 

二〇〇七年八月に第一子が生まれました。結婚六年目、待ちに待った子どもでした。
 妻は、七月から妻の実家に帰省し出産準備。出産後も一ヶ月は実家で過ごし、九月十五日に久しぶりに我が家に帰ってきました。
 この間、私も、ほとんど妻の実家で過ごしていたので、我が家は掃除が全く行き届いていませんでした。川に面している我が家は湿気が多く、二か月間ほぼ留守にしていると、廊下にカビが生えるほどでした。
 そこで、当日、早朝から、私の実家、大分に住む母に来てもらい、家を掃除してもらうことにしました。
 母は、朝五時すぎの始発高速バスに乗り、八時過ぎに我が家に到着。それから二人で一所懸命に掃除。
 九時半に、私は高速を飛ばして、妻と娘を迎えに行き、高速を超安全運転で走り、三人で我が家に帰ってきました。家はピカピカになっていました。
 ちょうどお昼です。
 私が「お昼ごはん、どこかに食べに行こう」と声をかけました。
 すると母は、「あるものでいいなら作ってきたよ」と、バッグから大きなタッパーを二つ取り出しました。
 開けてびっくり。めでたい席だからと、ちらし寿司を作ってくれていました。私の大好物のちらし寿司です。
そしてちらし寿司には絵が描かれていました。

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 錦糸卵で背景を作り、鮭のそぼろと海苔でハート型の笑顔、そして切ったインゲン豆で「おめでとう。おかえり」。
 私は胸が熱くなりました。
 目頭が熱くなり、抱っこしている娘の顔に、涙がこぼれました。
 朝五時すぎの始発に乗る前に、ちらし寿司を作ろうと思えば、相当に早起きしなければ、なりません。でも、それをする母です。
 インゲン豆をそのままいれても、インゲン豆を切って「おめでとう。おかえり」と書いても、カロリーも、ビタミンも何も変わりません。でも、それをする母なのです。
 「私はこうして育てられたんだ」と改めて実感しました。
 そして心で誓いました。
 自分もこうやって娘を育てようと。娘にちゃんと食べさせようと。

 

これは、『食卓の力』の「おわりに」
に記したエピソード。

 

地頭のいい子を育てる食卓の力 6歳までに身につけたい30の習慣

地頭のいい子を育てる食卓の力 6歳までに身につけたい30の習慣

 

 

食育講演で
たまに語ることのあったエピソードだったのですが
最近は、伝えたいことが多すぎて
全く語っていませんでした。

 

そして今日。

「先生の、お母さんのお料理で
 記憶に残っているものなんですか?」
の質問に
親や子どもに対する気持ちが一気に溢れ出して…

 

ちょっと感極まってしまって
自分のネタや語りで
「絶対に笑ったり、泣いたりしない」
と決めているのですが
この二つの素話、連続はヤバかった。

泣かないまでも
涙腺に
涙たまりまくりでした。

 

 

ゴーシ先生の食育講演。
感動の安定もいいけれど
その場のケミストリーを生み出す
時間もあえて取り入れようと
決めました。

 

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