食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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ミツル醤油を題材にした小説原稿

久しぶりにミツル醤油を訪れ
城くんとお話しました。

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彼が糸島に帰ってきて
一からの醤油づくりに挑戦し始めたとき
彼の挑戦を応援しようと
かなりの時間、取材し
小説化しようとしていました。

お互い、忙しくなって
その情熱はいつの間にか
消し炭になってしまいましたが
久しぶりに読み直すと
面白い。

 

わかかりし
ゴーシ先生が
全力でミツル醤油を題材に
自己啓発ビジネス書を書こうとしていたことがわかります。

 

せっかくなので、
一部、紹介します。

 

 慶(けい)は筑前深江駅に降り立った。
 高校に通うために毎日利用した駅。高校を卒業してから、もう、六年以上が過ぎた。でも、その駅は当時と何も変わらない。小さな小さな駅だ。
 そう言えば、慶が、はじめて「醤油を造ろう」と思ったのは高校時代だ。
 慶の実家は、福岡県糸島市にあるツルミ醤油という醤油屋である。創業がいつなのか、正確には店の誰も知らない。記録が残っていないのだ。
 口伝えによると、城戸七郎という人物がこの地で醤油屋を営んでいたのだが、大借金をしてしまったという。それで店を売り払わなければならず、それを七郎の親戚の城戸  が買うことになった。この  が慶の曾祖父ちゃんにあたる。
 それが約九〇年前。
    は醤油屋を引き継ぎ、そうして現在に至る。
 城戸慶は四代目になる。
 創業約九〇年。でも、一年半前に、実家に帰省したときも、創業約九〇年と言っていた。たぶん、もうちょっとしたら創業約百年になり、しばらくの間は、創業約百年なのだろう。
 駅の改札を出ると、六月の初夏の日差しが慶を照りつける。
 そこから歩いて、家に向かう。わずか五分の距離だ。小さい頃から遊び慣れた道。一年半ぶりの道。懐かしさと、久しぶりに家に帰る喜びとがこみ上げてくる。
 でも、今回は単なる帰省でない。ここに根を下ろし、家業を継ぐのだ。そして「醤油を造る」のだ。
 その思いは高校時代と全く変わらない。
 高校二年の時、家にインターネット回線が引かれた。慶は、興味本位で、「醤油」なんてひき、そこから、伝統的な醤油の製法を初めて知る。
 慶は、小さい頃から店の手伝いもしてきた。
 だけど、醤油の製法は知らなかった。
 蛇口をひねれば水が出る。でもその水は、どこで採取され、どこの浄水場で浄化され、どういう仕組みで蛇口をひねれば水が出るのか、考えたことがないように、醤油が何からできているとか、製法がどうだとか考えもしたことがなかった。慶にとって、生まれた頃から、醤油はそこにあり、あたりまえの生活の一部だった。
 高校生の慶は、パソコンのディスプレイを見つめる。
 醤油の原料に、大豆、小麦なんて書かれてあるが、ツルミ醤油で、そんなものを見たことがなかった。「アミノ酸液」「添加物」、知らなかった情報が次々と飛び込んでくる。それらを見ながら、いろんな疑問が思い浮かんでくる。
 慶は父に尋ねた。
 「ウチはどげえやって醤油、作りよると?」
 「組合から生醤油を買ってきて、それを調味して火入れして作るったい」
 「買ってきよると?」
 「それが普通やろうもん」
 「アミノ酸液とかも入れよん?」
 「お前、よう知っとるね」と、父が少し驚いた顔で笑う。
 「入れな、旨味がでらんやろーもん」
 よう知っとると、褒められたことは嬉しかったが、それ以上に、モヤモヤとした何かが慶の胸の中に込みあがってきた。それは、嫌悪感とは言わないまでも、間違いなく「嫌」な感覚だった。
醤油屋でありながら、一から醤油を造っていなかったことが、何か「嫌」だったのだ。
 ただし、これはツルミ醤油に限ったことではない。
 どこの県でも、どこの醤油屋でもでも行われていることだ。
現在、日本には一六〇〇軒の醤油メーカーがある。うち、醤油の醸造、つまり、一から醤油を造っているのは、わずか一割に過ぎない。
残り九割は、各県の醤油組合や、大手メーカーなどから生醤油を購入して、火入れ、充填し、製品化しているのだ。
 インターネットからは、いろんな情報があふれ出してくる。
 その中には、アミノ酸液や添加物を使った醤油に対する批判的な論調も多かった。
 慶は、自分の家の醤油が批判されているように感じた。
 慶は、この醤油屋で育った。家族みんなで一所懸命に仕事をしてきた姿を見てきた。当然、そんなウチの醤油に誇りを持っていた。
 だから、インターネット上のそれらの批判的内容に対して、憤りを感じた。悔しさを感じた。その一方で、「ウチの醤油は粗悪なものなのか?」という疑念も生じ始めた。
 そうしていつの間にか、慶は「自分のところで一から醤油を造ろう」と思うようになっていた。いつの日にか、コイツらを見返してやろうと思ったのだ。
 国道二〇二号線を横断し、角を曲がるとツルミ醤油の看板が見える。「なんでも鑑定団
」に出せば、いくらかの値がつきそうな、古いホーローの看板。
 これが、十八年間育ったわが家、そしてこれからの人生が始まるわが家。そして職場。
 母には、今日、帰ると言ってある。
 「まず、なんて言おうか」と考えが巡る。
 「よろしくお願いします」と頭を下げようか、それとも、「数年後に、一から醤油を造ろう!」と所信表明すべきか。
 自分で言うのも何だが、大学で醸造を学び、全国の醤油屋で研修を重ねた跡継ぎが帰ってくるのである。
 両親も、店のみんなも、笑顔で迎えてくれるだろう。まぁ、サプライズありの大歓迎なんてことはないだろうけど。
 店の前で、思わず、にやけてしまうが、平静を装う。
 「ただいま」と店に入る。
 反応がない。
 「あれ?」と思いながら、靴を脱ぎ、奥に入るが誰もいない。
 荷物を置き、誰かを捜すが誰もいない。
 家兼店舗に隣接した工場に行くと、みんながいた。
 それぞれ黙々と手を動かし、バタバタと走り回っていた。
 「ただいま」と言うと、皆、「あ、おかえり」と顔を上げ、それからまた、それぞれ手を動かし、バタバタとし始めた。
 明日は、年一回のJASの検査があるので、総出で、掃除をしているのだという。
 「ケイ、あんたも手伝わんね!」と向こうから母の声が飛んでくる。
 慌てて家に戻り、服を着替え、掃除に取りかかる。
 これが現実だ。
 夢はある。やりたいこともある。
 だけど、小さな小さなツルミ醬油は、やらなければならないことに今日も、明日も追いまくられているのだ。
 しかも、慶自身、ツルミ醬油のやらなければことがなんなのかも分かっていなかった。
 これが小さな小さなツルミ醬油の現実だった。

 

小説化しているので
ミツル醤油を
ツルミ醤油に変えています(笑)

 

 翌日は、醬油のビン詰め作業である。
 慶は、とりあえずいろんな作業をすべて手伝い、ツルミ醬油の仕事の全体像を把握しようと決めていた。
 ツルミ醬油には、一・八リットル、一・五リットル、一リットル、五〇〇ミリリットルの醤油がある。
 主力商品は、一・八リットル、つまり一升ビンである。
 東京にいた頃は、醬油の一升ビンなんか見たことがない。糸島では、一升ビンが普通で、スーパーでも一升ビンが並んでいる。
 おそらく、田舎は都会に比べて、大量に醬油を使うからだろう。
 ビン詰め作業は、○○さんの担当である。○○さんは、ツルミ醬油の中で唯一の親族以外の従業員であり、大ベテランだ。
 ツルミ醬油の充填機は、ほとんど手動である。多くのメーカーの自動の充填機と比べると、
 このレトロな充填機の唯一自動な部分は、ビンをセットしたら醤油が充填され、一定の量になったら止まる。しかし、その量が、微妙に多かったり、少なかったりして、あまり自動の意味がない。
 一本一本、○○さんの目視によるチェックが必要だ。
蒲池チェックを通過すると、キャップを被せて打栓。
 それからラベル貼りである。
 ツルミ醬油には、一・八リットル、一・五リットル、一リットル、五〇〇ミリリットルの醤油がある。
 ラベルを貼る機械も市販されているが、ツルミ醬油にはなく、すべて手張りである。充填した醤油を台の上に置いて、ラベルに糊をつけて貼っていく。
ラベルは商品の顔。
 こんなこともある。
 お店に「醤油下さい!」とお客さんがやってくる。
 「醤油の銘柄は何ですか?」と尋ねると「えっ?何かいなぁ…」。
しかし、ラベルを見て「あ、コレコレ」と問題解決。
 つまり、商品名は覚えていなくても、ラベルは頭に残っているのだ。
ラベルは商品の顔。だから、慎重に、慎重にラベルを貼る。
 当然、時間も手間もかかる。
 充填機はかなりの年代物で錆も目立つ。慶は、「自動充填機があれば、自動ラベル貼り機があれば、作業はもっと楽になるんだけど」と思いながら黙々と作業する。
 作業しながら慶は頭の中で計算する。
 自動充填機は安いものでも、数百万円。自動ラベル貼り機は    円。それを償却するには、機械の導入により人件費を削減し…。
 そこまで考えて気がついた。
 機械を導入すると言うことは、省力化することだ。人手が要らなくなることだ。償却してしまえば、それ以降は、利潤になる。
 それが、経営を合理化するということだ。
 だけど、そうすると、ずっとツルミ醬油で働いてきた誰かが、店から居なくなるということだ。ツルミ醬油を支えてきた技術が必要なくなるということだ。
 それは、とっても寂しい。
 経営を合理化するって、そんな寂しい側面があるのだと痛感する。全自動の便利な社会は、人手がいらない寂しい社会なのだと痛感する。
 まぁ、この機械で、現在のやり方で十分、回っている。機械が必要になるのは、醬油がもっと売れるようになり、もっと作らなければならなくなってからだ。
 それが買えるようになるのも、醬油がもっと売れるようになってからだ。今じゃ、先立つものもない。

 

10年前なので
われながら、
若さとエネルギーがほとばしっていると思う。

 

その日の仕事は、父の配達の同行。
 車内の父との会話で初めて知ったのだが、ツルミ醤油のお得意さまは、約九〇〇件もあるのだという。そのお得意さんに、定期的に醤油を配達する。そして空きビンを回収して回る。
 慶の住む糸島地域には、ツルミ醤油の他に、キタイ醬油、カノオ醬油など、二社の醤油屋がある。どこもウチと同じで、お得意さんを抱え、醤油を定期的に配達している。
 それが糸島ではあたりまえなのだ。
 慶は、大学時代に帰省した際、地元の友達とこんな話をしたことがある。
 「東京ってさ、みんな、スーパーで醤油買うとぜ」
 「そうっちゃ!スーパーで醤油が売りよんけん、ビックリした」
 「なぁ。醤油って、ウチに届けてもらうのが普通と思いよった」
 「ホント、社会って広いよな。知らんことがいっぱいある」
 小さな醤油屋にとって、お得意様の確保は生命線である。作った醤油をスーパーに並べているだけでは、とても大手メーカーに太刀打ちできない。
 ツルミ醤油のお得意さんのほとんどは、糸島市内であるが、遠くは、福岡市東区和白太宰府市に配達することもある。
この日は、福岡市東区和白である。和白は、糸島から車で片道一時間半くらいかかる。
 父の話によると、十数年前から、この地域に配達するようになり、次第に配達先が増えていったと言う。現在は、約三〇軒を回っている。
 そのことを父が淡々と、でも、どこか嬉しそうに語る。
 確かに、慶にしても、地元以外のお客さんが、ツルミ醤油を愛用してくれるのは嬉しい。こうした、お得意さんが、小さな醤油屋の生命線だと言うことも分かっている。
 だけど、片道一時間半である。しかも都市高速代が往復で一三〇〇円もかかるのである。
 「あのさぁ…。例えば今日、醤油が、一升ビンで二〇本売れるとするやろ。それで、いくら儲かるん?」
 「そうなやなぁ。ウチの売れ筋の醤油が一升●円で、原価が●円くらいやから、二〇本で…」
 「●円かぁ。往復のガソリン代もかかるやろ。和白の配達に五時間かかるとしたら、時給●円かぁ」
 「しかも今日は、お前がいるから、時給は半分の●円やな」と、  が笑う。
 「笑いごっちゃないやろぉ」
 慶の目標は、原材料や製法にこだわった醤油を自家醸造し、それを、それに見合う価格で売ることだ。言い換えれば、利益率の高い商品を作り、販売する。そんな考え方からすれば、この配達は、なんとも効率が悪い。
 考え込む慶に、  が言う。
 「あんなぁ、お客さんが、ウチの醤油が欲しいって言うなら、届けないけんやろ。時給を考えて、そんなところには配達せんとする。そうしたら、その醤油は、在庫になって、永遠にお金にならん」
 確かにそうなのだ。経済学には「機会費用」という考え方がある。機会費用とは、「ある行動を選択することで失われる、他の選択肢を選んでいたら得られたであろう利益のこと」だ。
 理屈としては、この配達の五時間、時給八〇〇円のコンビニのバイトをした方が、お金は儲けれるのだ。
 しかし、それは現実的ではない。そんなことを言い出したら、醬油屋なんてやっていけない。自らの時給を考え、残業なんて考え始めたら、とても醬油屋なんてやっていけない。
 それは分かる。でも何かが引っかかるのだ。
 「じゃぁさ、北九州から注文が来たらどうするん?」
 「ちょっと配達できんなぁ」
 「和白の五キロ先から注文が来たら?」
 「そりゃぁ、一緒に配達する」
 「そのまた五キロ先から注文が来たら?」
 「配達する」
 「そんなこと続けよったら、北九州まで配達せないけんことなるやん」
 「そんときは、五キロごとに、お客さんがおってくれることになるんやけん、ありがたいことやろうもん」
 慶は何も言えなかった。
   が続ける。
 「慶、理屈じゃ分からんこともある。そんときにならんと分からんこともある。まぁ、今んところは、目の前のお客さんを大切にしようや」
目の前のお客さんを大切にする。その大切さはよくわかる。
 それからも慶は、父親の配達に同行するのだが、「まだ間に合ってる」と言われるときもあるし、留守の時も多い。そのくせ、数日後に、「醬油が切れたの」と電話がかかってくることもある。
 そんなとき父は、夜遅くても、日曜日でも、配達に出かけるのだ。それが和白だって、何かの用事にあわせてわざわざ届けるのだ。
 そんな父とお得意さんのやりとりを見ながら思う。
 最初は、醬油の味で買ってくれたのかもしれない。しかし、配達を重ねるうちに、いつの間にか、醬油ではなく、信頼を買ってくれているのかもしれない。
 そんなお得意さんは、醬油だけでなく、味噌も買ってくれる。お中元やお歳暮に、ツルミ醬油を利用してくれる。
父が売っているのは信頼。配達を重ねながらそれを学ぶ。そのすごさを知る。
 しかし。
 もし、父が配達できなくなったら、それをやらなければならないのは自分だ。本当に、それができるのか。それがしたいのか。
 では、できないから、したくないからと言って、そんなお得意さんとの信頼関係を投げ捨てていいのか。

 

当時は
すっげーいろいろ考えて
原稿を作り込んでいたなぁ。

 

実家に戻り、ツルミ醬油で働き始めて一ヶ月間。
 慶は、醬油のビン詰めの手伝い、ラベル貼りの手伝い、配達の同行、ビン洗いの手伝いをし続けた。
 それらの仕事については、だいたい分かった。
 多分、自分一人でできるくらいの自信もある。
 だけど、それだけだった。
 やりたいことはたくさんある。だけど、何から手をつけていいのか分からない。手伝いしかできていない。
 ホームページとブログは立ち上げた。それらを利用して、日々の仕事の紹介はしている。だけど、みんな、その意味、価値が分かっていないようだ。サーバーのレンタル費やドメイン取得費は「余計な出費」と思われていて、ブログを書いていると「インターネットして遊んでいる」ような目で見られる。実際、ホームページやブログで、売り上げが伸びたわけでもないから、慶自身も胸を張って仕事だとは言いにくい。
 そんな状況で一ヶ月が過ぎた。
 給料日がやってきた。
慶は、当たり前のように給料を受け取った。帰ってくる前から、給料をもらうことに疑問を感じていなかった。だって、働くのだ。「給料をもらえて当然」という感覚があった。
 しかし、実際に給料を受け取ると、その重みを感じてしまう。
 自分はどれくらいの働きをしたのか、給料に見合うだけの働きをしたのかということにだ。
 ツルミ醬油の社員は○人である。父が社長であり、配達係。母が経理。叔父さんが配達係。おばさんが、 いとこの   ちゃんが    。そして、唯一の家族以外の従業員   さんが    担当。
 慶が帰ってくる前も、そのメンバーで仕事は回っていた。
 慶が帰ってきて、仕事を手伝うようになって、確かに、仕事の負担は減るかもしれない。だけど、売り上げが伸びるわけではない。とすれば、慶の給料分が、そのままツルミ醬油の経営を圧迫するわけだ。
 慶は、給料をもらってはじめてそのことに気がついた。
 「自分は何も生み出してはいない。自分の給料分さえも売り上げを生み出していない」
翌日、慶は仕事の合間の時間を塗って、パソコンに向かった。
 POPを作るためだ。
 ツルミ醬油の商品には、パンフレットやPOPが全くなかった。以前から、慶は、作る必要がある、作ってみたい、と思っていたのだ。
 イラストレーター等の専門的なソフトは使えない。しかも、デザインの勉強なんてしたことがない
ワードを立ち上げるが、何をどう書いていいのか分からない。真ん中にツルミ醬油の主力商品の一つである海苔の佃煮の写真を貼り付け、写真の上部に説明文、下部に、ツルミ醬油の連絡先、ブログのアドレスなどを記した。
 何か、目立つキャッチコピーがいる。
 いくつかアイデア出した結果、「二十六年目も、そのまんま」にした。
 ツルミ醬油の海苔の佃煮は、今年で二十六年を迎える。慶自身、それはスゴイことだと思っていた。だって、二十六年間も、製法も味付けも、ほとんど変わっていない。
 電化製品だって、車だって、数年でモデルチェンジする。一年に数多くの商品が誕生し、数多くの商品が消えていく。そんな現代社会の中にあって、二十六年間も、製法も味付けも、ほとんど変わっていないというのはウリになると思ったのだ。それだけ、お客さんに支持されていると言うことだ。
「二十六年目も、そのまんま」のフォントを大きくして完成。
 見返してみると、我ながらデザインセンスのなさに嫌になる。それでも、作らないよりはましだろう、やることが大事と、自分に言い聞かせる。
 ラミネート加工し、POPが完成した。
 一応、父や店のみんなに、POPを見せて「どう思う?」と尋ねた。
 素人仕事ながらも、これまで、店の誰もやらなかったことだ。小さなコトだけど、こういう工夫もして売り上げを伸ばそうという、慶なりの意欲の表れだった。
 普通の会社であれば、まずは、部下のこうした意欲や行動を認め、評価し、その上で、改善点を指摘するだろう。そうやって褒めながら、部下のモチベーション高めるのが、コーチング、エンパワーメント・コミュニケーションであり、それがマネジメントの基礎であるはずだ。
 しかし、家族経営であるツルミ醬油は残酷だ。
 「ふ~ん」という素っ気ない返事。
 「そんなんで売り上げが変わるんかねぇ」という言葉。しかも、その言葉の奥には、「そんな暇があったら、ラベル貼りを手伝え」というニュアンスが感じ取れる。
 挙げ句の果てには、「二十六年とか、歴史があるうちに入らん!」
 慶はムカッときて、同時に凹んだ。
それでも、作らないよりはましだろう、やることが大事と、自分に言い聞かせる。そのPOPを持って、ツルミ醬油の商品を置いてくれている店や直売所を回る。
 使ってくれるんだろうか、と不安であった。店のみんなのような反応だったら、かなり落ち込んでしまう。
 しかし、どの店も歓迎してくれた。
 「いやー、メーカーさんも、そうやって売る努力をしてくれると、こっちも助かりますよ!」なんて言われて、鼻高々だった。
 しかも、売り場の方々と意見交換ができた。POPにどんな情報を盛り込むべきかも教えてくれた。
 そういう声を活かしていこう!
 慶がやりたかったことが、ちょっとだけ、確実にできた。そんな気がする。そして、そのことで、もっと気持ちが高まってきた。
 やっぱりやることが大事なのだ。やらなければ、なにも始まらないのだ。

 

泣いた。

 

店の人から指摘された点を修正し、再び、ツルミ醬油の商品を置いてくれている店や直売所を回る。
 ある直売所で、店長さんから、こんなふうに話かけられた。
 「この前、視察で、気仙沼に行ったんよ~」
 「気仙沼って、フカヒレとかが有名な宮城県のですか?」
 「そうそう。それ以外にも、魚がめっちゃ豊かでね。刺身の盛り合わせとかを頼むと、ミョウバン漬けしていないウニとか、カツオとか、モウカの星とか…」
 「美味しそうですねぇ!」
 「魚は新鮮で旨いんやけどさ、醬油が違うとよ」
 「そうでしょうね」
 「ツルミの刺身醤油で食べたら旨かろうね、と思いながら食べた」
 「ウチのはかなり甘いですからね」
 「そうそう、最初は甘っ!、とか思うんやけど、アレに慣れると、アレじゃなきゃいかんね。魔性の味になる」
 「人は本能的に甘いものが好きと言いますからね」
 「でもなぁ…」
 「…はい」
 「そうは言っても、醬油って、換えにくいやん。慣れ親しんだ味がある」
 「確かにそうですね」
 ツルミ醬油が、お得意さんを抱えて、商売できているのは、そういう理由があるからなのだろう。その醬油の味が家庭の味になるのだ。アフクロの味になるのだ。
 「そうすると、醬油の銘柄はなかなか変えれんとよ。特に刺身醤油。一度買うと五〇〇ミリリットルやから、冒険はできん。冒険して、口に合わん醬油で刺身は食べ続けたくない」
 「なるほど」
 「だけん、お試し用の、もうちょっと小さいミニボトルがあれば売りやすいんやけどねぇ」
 慶は「あっ!」と思った。
 お得意さんは、一升とかを平気で買う。そんな商売をずっとしてきた父が、ミニボトルを思いつけないのは分かる。
 でも、素人目線を大切にし、お客さん目線を常に意識していた自分が、それに気がつけなかったというのがショックだった。
 自分も、固定観念にはまりつつあるのかと怖くなった。
 ツルミ醬油に戻りながら、慶は、ミニボトルを実現するための段取りを考え始め、帰り着くとすぐに、行動に移した。
 その四日後、一五〇ミリリットルのさしみ醤油ミニボトルが完成した。
 これくらいのことは、はっきり言ってたやすいのだ。すぐできる。だけども、そんな簡単なことさえ、思いつかず、できていなかったということだ。
 完成したばかりのミニボトルを携え、直売所に行き、店長に報告する。
 店長は、ニヤッと笑って、「俺がバンバン売っちゃる」と言う。
 慶が、商品棚に、さしみ醤油ミニボトルを並べていると、店内放送が流れた。
 「糸島の老舗、ツルミ醬油の刺身醤油!糸島の新鮮な魚を、刺身で味わうにはコレしかない!ウチも、ずーっとこの醬油を使っています!他の醬油では、刺身が食べれなくなる!店長がオススメするんだから間違いない!ちょっと試してみたい人のために、ミニボトル用意しました!店内、正面、奥の調味料コーナーで…」
 放送が終わらないうちに、お客さんが集まり始めた。そして、飛ぶように売れた。準備していたミニボトルは、あっという間に売り切れてしまった。
 目の前で、こんなに醬油が売れる経験など無い。
 慶は興奮した。
 店長に、商品をとりに帰ってくる旨を伝え、車に飛び乗った。
 車の中で、店長の言葉を思い返した。
 「いい商品をつくれば、並べれば、売れるワケやないと。売るための努力を一所懸命せないかん。ウチは直売所やけん、売る努力をするのは当たり前。でも、どの商品を売りたくなるかちゅーと、それは商品の魅力やなくて、作っている人の姿勢ちゅーんかなぁ。城戸さんは、俺のアドバイスを聞いて、すぐミニボトル作ってくれたやろう。そういうところなんよ。応援したくなるのは。いいもの作って、一緒に売っていきましょう!みたいな。そんな気持ちを一緒にできんと、応援できんやろう」
 慶は、路肩に車を止めた。
 「いい商品って、できた瞬間にいい商品なんかはありえん。作る人が一所懸命作って、売る人が一所懸命売って、で買った人が評価してくれる。そのときに初めて、いい商品ができあがるんやと思うなぁ」
 慶は泣いた。

 

我ながら、面白いなぁ。

 

まだ、原稿はあるので
クラファンで公刊しようかなぁ。

 

 

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