食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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吹き出し実験

成功した?

性交したい…

下ネタかっ!…

 

成功した!!

 

と思ったら
スマホでは吹き出し表示されず。

 

ということで
再びスマホのでデザイン画面で
CSSをいじくって
なんとか成功!

 

教えて欲しい人
言ってね~。

 

 

 

 

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単P、上部組織、離脱のススメ

「今回の県P新聞、福吉小祭りでしたね!」
と声をかけられました。

 

確かにこの見開きページのうち

 

 

ココの部分↓

 

ココの部分↓

が福吉小。

 

では、この県P新聞
どのくれいのコストとエネルギーをかけて作り
どのくらいの人が楽しみに読んでいるか
つまり費用対効果はどうかというと
「???」と思わざるをえません。

さて
PTAは任意参加が原則で
ゴーシ先生が糸島市P連会長だった頃に
それは徹底しました。

 

www.goshisato1973.info

 

一方で、フリーライドの問題は
確かにあります。

 

 

次に、今日の本題。
小学校、中学校などの単Pが
上部組織に所属しなければならないか問題。

 

www.asahi.com

 

以下、昨年度1年間
糸島市P連会長
福岡県P連副会長をやった
私の超個人的見解です。

 

まず市P連(小P連、中P連)は
解散してもいい。
独自の事業は行っていません。
特にこのコロナ禍の数年はなおさらです。
市内PTA間の
情報共有、情報交換は必要でしょうが
それは
「会長・校長会」で十分に役割を果たせます。

では、なぜ市P連が存在するのかというと
県Pに役員をだすための
輪番的な役割が強いと思います。

 

だから、市P連(小P連、中P連)は
解散してもいい。

 

次に市P連は
県P連から離脱してもいい。

確かに県Pは独自の事業を行っています。

主なもので
・県P新聞の発行
・各ブロック研修、まなびのひろば、まなviva福岡
・県教育委員会への請願
・新家庭教育宣言、等々。

 

ブロック研修やまなびのひろば
では、単Pでは招聘できないような講師のお話を
聞くことはできます。
だけど、普通に募集をかけて
参加希望者が殺到するかというとそんなことはなく
何度も参加を促したり、
下手したら動員です。

 

現代は、学ぼうと思えば
いくらでも学べるので
旧態のサービスは
会員にとって負担でしかありません。

 

しかも、ブロック研修は
九州PTA連合会大会が回ってきたとき
円滑に運営できるように
「練習をしておく」
という位置づけです。

 

練習のために
あんな大変なことするなんて
たまったもんじゃありません。

 

しかもその原資は
各家庭、単PのPTA会費からの上納金であったり
各家庭、単Pが払っている保険のお金の一部であったりします。
一部、公金も入っていると思いますが
それだって私達の税金です。

私の浅はかな1年間の経験では
「や~めた」
と言っても、何のデメリットもない。
困るのは上部組織だけ。

 

だけどなんとなく
「やめられない」
「やめたらたいへんなことになりますよ」
という雰囲気がある。
ある意味、○社会的勢力。

 

ゴーシ先生が教育長なら
「市P連、かいさ~ん」
「県P連、りだ~つ」
と先陣きって
全国のやる気のあるPTA役員と緩やかにつながって
情報交換、情報共有したり。
(すでにやっていますが)

オンラインでシンポジウムや講演会やったり。
講師料等が必要なら
参加費とればいいだけの話だし。

そっちのほうが
よっぽど現代的だし
健全だし
子どもに見せる大人の背中だと思います。

 

 

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人生は出会い⑧-ワークショップ、ファシリテーションとの出会い-

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話は前後しますが、九大伊都キャンパスの環境保全活動をスタートした当初、「やみくもに作業するのではなく、まずは、関係者全員で目標やビジョンを共有したり、マップを作るべき」というアドバイスをされ、そこで紹介されたのが志賀壮史君でした。

壮士君は、当時、九州大学芸術工学部博士課程に在籍する同級生。同じ大分県出身で、お互いバンド活動をやっていたりして、一瞬で意気投合しました。

当時から、そして今でも、壮士くんは、日本でトップレベルのファシリテーション・グラフィックの技術、経験の持ち主です。

 

少し説明をしておくと、ワークショップとは「参加型学習」「学び合いの場」。そのワークショップを円滑に進める役割、会議や活動を促進する人を「ファシリテーター」と言います。そして、参加者からの意見やアイデアを、まとめたり、図解したりして板書する技術を「ファシリテーション・グラフィック」と言います。

 

壮士君の家で、はじめてプロッキー(水性マーカー)を握り、模造紙にファシリテーション・グラフィックの練習をした光景は、今でも鮮明に覚えています。

 

そして、人生で初めてワークショップを経験しました。

 

その面白さ、効果、意義に感動しました。もともと教育実習等で指導案を書いたり、生徒の意見を引き出すのが得意だったり、絵を描くことも、図解するのも得意。そしてハマり症の私は、集中的にファシリテーションの勉強をしました。私が恵まれていたのは、NPO活動をやっていたおかげで、ファシリテーターとしての経験を積み、技術を磨く機会に恵まれていたことです。

 

最終的には、壮士君と一緒に、ファシリテーター養成講座の講師をするくらいまでレベルアップすることができました。

 

このファシリテーターとしての技術や経験は、私の活動のすべての基礎になっています。ワークショップをやる場合は当然ですが、『大人塾』や『婚学』もそう。大学の授業でも講演でもイベントの進行でも、「隣の人と1分間、〇〇について意見交換してください」「4人組を作って、どんな意見が出たか共有してください」みたいなことを、簡単に折り込むことができます。

 

どうすれば、参加者の学びが最大化するか、主体性・積極性を発揮できるか、楽しめるかを常に考え、実践できるようになりました。

 

なにより大きかったのが「一人ひとりの意見やアイデア、経験には意味がある」という哲学や姿勢が身についたことです。

 

傲慢な私は、「知識のある人がない人に教える(知識伝達型学習)」「知識のある人の意思決定にしたがっておけばいい」という考えに走りがちだったのです。今でも、その「気」が残っているから、なかなか深刻です。

 

ワークショップ、ファシリテーションとの出会いは、私の活動のすべての基礎になっています。

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渡辺裕之さん、櫻井さんの記事から考えさせられたこと

心身の状態がよろしくない。

 

まず、眠れない。
眠れたとしても1時間くらいで目が覚め
トイレに行き、水を飲み
また布団に入り
同じような悪夢をみて
ホットフラッシュに襲われたり
逆に寒くて仕方なかったり
を朝まで繰り返す。

寝るほど疲れがたまるという状態。

 

 

食欲もなく
トマトとパインだけで過ごす日が続く。
だけど、胃が空っぽすぎて
吐き気に襲われたり。

 

やる気も出ないし
睡眠不足なので
すぐに布団で休みたくなる。

 

たぶん、病院に行けば
男性更年期障害と診断されるだろうし
それに伴う
うつ病とか
自律神経失調症とか診断されるかもしれない。

 

病院に行って
治療が始まり
薬を処方されたとしても
渡辺裕之さんのように
自死を選んでしまうケースもある。

 

自ら死ぬ気はさらさらないけれど
「ピークを過ぎてしまったんじゃないか」
とか
「元のように輝けないんじゃないか」
という不安はよくわかる。

だけど、自分やその未来を信じたいという子持ちもあって
その葛藤が苦しくて、怖くて
そこから逃げ出したい
という気持ちもよくわかる。

 

そんなときに
ミスチルの櫻井さんのインタビュー。

 

news.yahoo.co.jp

 

「いくらでもいける」という気持ちのときもあれば、
「やっていけんのかな」と考えるときもある

 

櫻井さんのような才能に
憧れたりはするけど
その責任や重圧は計り知れない。

 

けれど
根底には
同じような不安や葛藤を
抱えているはず。

 

それならば。

 

同じようにギターを弾いて
同じように歌を歌って
たった一人でも
それを聞きたいと思ってくれるのなら
それはすごくありがたいことで
意味も価値もあることなのだと思う。

なによりこうやって書くこと。
書き続けること。
ゴーシ先生の最大の武器は書くこと。


たった一人でも
それを読みたいと思ってくれるのなら
それはすごくありがたいことで
意味も価値もある。

 

今、『人生は出会い』連載ができているのは
過去に、いろんな原稿を
書き溜めていたから。

 

母親が心配するので
こういう健康ネタは書きたくないけれど
いつか
「男性今年期の苦しみと乗り越え方セミナー」
みたいな依頼が来たり
そのネタになったりするかもしれない。

 

と思い、赤裸々に書いてみました。

 

 

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人生は出会い⑦-伊都キャンパスの環境保全活動から学んだこと-

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2001年7月、九大学内ボランティアによる伊都キャンパスでの環境保全活動が行われました。
前述のように、不登校気味で九大における存在意義を見いだせず、一方で、山村塾で里山保全活動を行っていた私は、喜び勇んで応募しました。「ここなら活躍できる」と。
そして当日。とにかく、その日は暑かった。炎天下、滝のような汗を流しながら、倒されたモウソウチクを運びやすい長さに切り、竹林からの搬出を休みなく続けました。
病人、ケガ人がでてもおかしくないほどでした。

そのときに思ったのが「もっと楽しくて、安全に行える環境保全ボランティア活動でなければ長続きしない」「その力が九大で一番あるのは自分かも」。

 

後日、調べてわかりましたが、九大伊都キャンパス移転における生物多様性保全事業は、「高木移植」「林床移植」「根株移植」「湿地保全」等、世界最高レベルの水準。

 

しかし、これらがハードの問題であるとすれば、ソフトの問題はほとんど手つかずのまま。つまり、これらの事業によって保全された伊都キャンパスの生物多様性や森林資源を、誰がどのようにして維持・管理するかという問題です。

 

その日、理学部の矢原徹一先生に出会い、その問題意識をぶつけました。そして後日、矢原先生が担当する、少人数ゼミナールに参加することなりました。

 

自分の考えを伝え、少人数ゼミに参加している学生有志を集めて、九大の学生研究助成金制度(C&C)に応募しました。「学生ボランティアによって、新キャンパス環境保全活動を実践しよう、そして、その活動を持続的に行うための組織を創りあげよう」という趣旨です。

 

幸運にも、助成金の採用が決まり、学生ボランティアによる伊都キャンパス環境保全活動が、実現への1歩を踏み出しました。2002年6月のことです。

 

1年目の活動は、竹の伐採を中心に、ワークショップ、勉強会、子どもたちを対象とした竹馬作り教室、そしてシンポジウムを行いました。作業にあたっては、山村塾の小森耕太君を講師に招き、安全管理や技術指導を行ってもらいました。九大の『マスタープラン』にも書かれているけれど全く実現されていなかった「ネイチャートレイル」を作成。

 

こうした取り組みは大いに評価され、『総長賞』を頂きました。そして、この後、NPO法人環境創造舎の創立、九州大吟醸の開発、食育活動の展開と、取り組みが広がっていきました。

 

「人生は出会い」という点で、ここで特記しておくなら、矢原徹一先生との出会いでしょう。矢原先生は、世界的生物(植物)学者であり、理論と実践のバランスに優れていて、世界的論文も書けるし一般書も書けるし、新しいことに挑戦し続け、しかもユーモアがあって面白い。寛容で、こんな私でも受け止めてくれました。これまでの人生で出会ってきた大学教員の中で、唯一、尊敬できる先生です。

 

あまり後悔することのない私ですが、矢原先生が新しいプロジェクトをスタートするとき、エントリーしておけばよかったと思うことはあります。それほど、側にいて学びを請いたい先生です。

 

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人生は出会い⑥-チャレンジ21から学んだこと-

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ある日、大学の廊下を歩いていて、ふと目に止まったのが、当時の日本育英会(現、日本学生支援機構)の論文コンテスト「チャレンジ21」のポスターでした。最優秀賞の賞金が100万円。テーマは「地球環境」。

 

一瞬、「自分には関係ない」「こんな論文コンテストで入賞できるのは、東大とか京大とかの賢い大学生で、おちこぼれの自分には無理」と思いました。

 

でも、農家さんから学んだことをなんとか形に残し、恩返ししたいという思いがありました。万が一、佳作にでも入賞すれば、そのお金で、お酒を買って農家さんに恩返しができるとも。

 

そうして論文を書き始め、数日のうちに原稿を仕上げ、投稿しました。何とか、農家の皆さんに教えてもらったことを表現したい、恩返しがしたい、その一心でした。

 

まさか、入賞するなんて思っていませんでしたが、結果として、その論文は、大学院生の部の最優秀賞をいただきました。なんと100万円の賞金に加え、インドネシアへのエコツアー、図書券といった副賞も頂きました。

 

落ちこぼれの大学院生が、一瞬で日本一になったのです。九大にも、その業績を評価頂き、総長表彰を頂きました。落ちこぼれの大学院生が、「九大の誇り」なんて言われるのです。

 

 この経験は、私の人生を大きく変えました。

 

最優秀賞を受賞したこと自体ではありません。
100万円を得たからではありません。

 

表彰式の場で配付された資料に、応募された論文の数が掲載されていました。その数字を見て、私の人生は変わりました。

 

 現在、日本には大学生が、約280万人います。この大学生に「100万円欲しい?」って聞いたら、ほぼ全員が「欲しい」と答えるでしょう。問題は、その280万人のうち、何人がその論文コンテストに応募したかと言うことです。

 

答えは100人でした。

 

280万人のうち、2,799,900人は、ポスターを意識さえしないし、目にとめても「論文なんか書けない。書いたことがない」「自分にはムリ」「時間がもったいない」「最優秀賞をとる人は、東大とか京大とかの優秀な学生だろう」と思っています。書こうという気さえおきないのです。

 

ごく一部の学生が「書けるかも」と思い、論文を書き上げ応募します。そうして集まる論文の数は100本にも満たないのです。

 

書いて応募しなければ、可能性は永遠にゼロです。でも、書いて応募するだけで、可能性は一気に100分の1まで高まります。

 

「人生はできるかできないかではなく、やるかやらないか」ということに気がつきました。そして、それ以降、何でも思いついたことは、やるようにしました。挑戦するようにしました。

 

こうして人生が変わっていきました。

 

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人生は出会い⑤-屋上田んぼから学んだこと-

www.goshisato1973.info


こうして偉大な農家さんに次々と出会っていき、いろんな経験をさせてもらい、いろんなことを教えてもらいました。おそらく、「現場を知っている」という点で言えば、同じ分野の若手研究者の中でも全国トップクラスだったでしょう。


しかし、農業の現場を知れば知るほど、農家さんの背中は遠のいていきました。農作業はできても、稲を見つめる眼差し、想い、環境の捉え方、等々が全く身についていないのです。「一人で米を一からつくってみたい」「農業と生活が一体となった時間を経験したい」という思いが自然にわいてきました。しかし、農地も実験圃場もありません。

 

そこで、2000年、27歳のときに九州大学箱崎キャンパス農学部1号館の屋上に田んぼを作ることにしました。

 

そのプロセスでの、日々の学び、気付き、意識の変化はすべて日誌に記していきました。例えば。

 

都会に住んでいると、天気があまり気にならなくなります。地下街を通ったり、アーケードを通ったりして、傘をささずに目的地にたどりつけたりします。少なくとも、都会の歩道はすべて舗装されているので足下が汚れることはほとんどありません。足下も悪くないのに「足下が悪い中…」と言うのは、天気や足下を意識していないことの表れだと思います。
そんな都会生活。たまに台風が来たりすると、(不謹慎だけど)ちょっぴりワクワクしてしまいます。学校が休校になったりするから。
僕もそんな都市住民の一人でした。それが屋上で田んぼを作り始めるようになって、天気に対する意識が変わりました。屋上田んぼを初めて作った2000年、出穂後に台風がやってきました。福岡へ再接近する直前の夜には、屋上田んぼが崩れやしないか不安になって本当に見回りに行ったし、心から進路がそれることを願いました。
人間の無力さを感じたし、「天気」の意味も考えさせられましたし、「農家さんはこんな気持ちで台風と向き合っているのか」と少し農家さんの視線に近づけた気がしました。

日誌はまとめてコピーし、農家さんに配布したら、スゴく喜んでいただきました。「トイレにおいて毎日読んでる」と。

(この日誌は、blogに再掲しています↓)

www.goshisato1973.info

 

日本農業新聞全国版の1面のトップ記事に取り上げられたり、半年間NHK福岡のロケが入り、特集されたりもしました。


誰もやっていないようなことをやっていると、それを「面白い!」と思ってくれる人がいるということを実感しました。


そして、自分が行動すれば、意識も知識も変わるし、変哲もない砂のような日常が、学び、気付き、意識の変化に溢れた日々に変わることを実感しました。

 

 

 

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