作家。食育研究家。九州大学大学院農学研究院助教/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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屋上田んぼの話1

あたり前のことを、あたり前のようにわからないことが、あたり前だ。
屋上田んぼで学ぼう。
あたり前のことを、あたり前のようにわかることが、凄いと思えてくる。
あたり前のことを、あたり前のようにわかることが、あたり前になる。
                                        
 佐藤剛史


 その①-2000/3/10~、小学生からの啓発-

 「”立派に実りました“私たちの稲穂」
 3/10、日本農業新聞16面。立派な稲穂をかかげた満面の笑みの小学生。バケツ稲づくりコンテストの審査結果が発表された。
 素直な疑問が浮かんでくる。「僕にこんな立派な米が作れるのか?仮にも、九州大学農学部大学院の博士課程3年やぞ…」
 調査先や知り合いのお百姓のお手伝いで、田植え、畦草刈り、草引き、合鴨の餌やり、田まわり、肥料ふり、収穫、乾燥、籾すり、石抜き、精米…ありとあらゆる農作業を経験した。トラクター、田植機、コンバインも自在に動かせるようになった。お百姓と同じ目線での研究をしたいという思いからだ。
 しかし、自分一人で米を作れといわれても自信がない。これまでの経験は、あくまでも作業のお手伝いにすぎない。年間を通じて、稲を見守り、水を管理し、天候を気にし、という、農業と生活が一体となった時間を経験したことがない。そう思うと「一人で米をつくってみたい」という思いが自然にわいてくる。これができれば、お百姓やその気持ちにもう一歩近づける。
 そして、この小学生たちは僕の一歩上を行ってしまっている。負けられん。
 「思いたったらすぐ実行」だ。すぐに、インターネットでJAのホームページにアクセスし、バケツ稲づくりセットを申し込む。ただし、去年の実績を見ると、小学生がほとんど。ホームページの申し込み欄にも「先生のお名前」なんてものがある。「大学院生が申し込んで本当に送ってくるのかなぁ」などと、半信半疑で申し込んだ。
 僕たちの、屋上田んぼ、「多面的機能実感田-生き物を育む田んぼのすごさを知ろう-」のあしあとは、こんなちょっとした偶然と思いつきから始まった。 

 


その②-2000/5/22~、播種・カラスからの宣戦布告-

 5月上旬、バケツ稲づくりセット一式が、注文通り10セット、本当に届いた。申し込んだことの記憶がうすれかけていた頃だったので、ちょっと驚いた。でも、こうしてセットを目の前にすると、申し込んだ当初のあの思いがよみがえってくる。「絶対に成功させる」という意気込みと、「稲を自分一人の力で育て、多くのことを学べる」という期待、そして「果たして本当にできるのか」という不安だ。
 一セットとは、バケツ稲づくり指導書(先生用)、バケツ稲づくりマニュアル、観察ノート、そして種籾。種籾は蛍光色の黄緑色だ。多分、種子消毒をしているからだと思う。僕は、無農薬で稲を育てたかった。全国のバケツ稲コンテスト参加者にも無農薬で稲を育ててほしいと思っていた(今でも思っている)。だから、この種子消毒された種籾によってその夢はいきなり断たれたわけだ。まぁ、せっかくの参加者が、種籾から芽がでないことや、病気が発生して落胆することを考えれば、主催者が種子消毒をするのも致し方ない。
 でも、参加者が、芽がでなかった理由、病気が発生した理由に思いをめぐらし、無農薬栽培の難しさを実感する、これも「バケツ稲」「田んぼの学校」の大切な授業の一つではあると思う。来年は、種子消毒のしていない種籾でトライしよう。

 さぁ、このバケツ稲セットを誰に配ろうか?辻泰治くん、贄田隆正くん、横手健太郎くんは確定。彼らは、農業経済学教室直属の後輩(4年生)であり、大学院を目指している。でも、僕と同じで農業の「の」も知らなければ、百姓仕事の「百のうちの一」も知らない。救いは、みんなで楽しむことや盛り上がるのが大好きなこと、労働のあとのお酒の美味しさを知っていること。彼らは、きっと賛同してくれるし協力してくれる。そうでなければ、大先輩として強要すればいい。
 でも、そんな心配は必要なかった。彼らに種子を手渡しながら趣旨を伝えると、「面白そうですねぇ、頑張りますよ」「僕は、ミネラルウォーターで塩水選をします」げな(笑)。おバカな先輩のもとには、おバカな後輩が集まる。でもそんな人間が、一番行動力があって、エネルギッシュなのだ。多くのことを学べる吸収力もある。僕は、この半年間をかけて、それを実感することになる。

 同じ大学院の友達にもバケツ稲づくりセットを渡した。酒好き、盛り上がり好きに限定してだ。修士課程、博士課程の後輩3人に加え、農政学講座の助手である佐藤加寿子さん等にセットを配布した。佐藤さんは有機農業や産直運動などを研究対象の一つにしている。共通のお百姓の知り合いも多い。まぁ、学内では指導的な立場と学ぶ立場という差はあるものの、有機農業若手研究会にも一緒に所属し、励まし合う同志だ。佐藤加寿子さんなら、食いついてくると思った。
 でもちょっとインセンティブが弱いとも思った。そこで、楽しいイベントを仕掛けてみる。「『佐藤剛史杯争奪バケツ稲づくりコンテスト』、みんなで一人一バケツ稲を作らんね。秋の収穫祭の時に、一番成績の良かった人、収量の上がった人には、俺の自腹で一晩酒をおごるバイ」。すると、佐藤さんはこういった。「じゃあ、化学肥料も農薬もバンバン使お」「・・・・」恐るべし。有機農業に思いを寄せる研究者にあらざる言葉だ。でもウケた。

 各自に塩水選をやってくるように伝え、土日を挟んで3日後、播種の日がやってきた。バケツと、自分で厳選した土も持ってくるように伝えてある。僕は、主催者のプライドにかけて収量No.1を狙うべく、バケツではなく大きなプランタを用意した。汚い!?。いいのです。大切なことは、米を多くとるべく、各自が工夫と努力をすること。これがお百姓に近づく第一歩なのだから。
 辻くん、贄田くん、横手くんがうれしそうにコップを抱えて続々と集まる。コップの中を覗けば、種籾から白い芽が出ている。贄田くんのコップにあっては、真っ白でひょろーっとした芽が1cm以上もでている。一番成長している贄田くんの種籾に一同感心し、正直、「一歩リードされた!」と焦ったりもした。
 これがいいことなのか、「やりすぎ」なのか当時は解らなかった。
 でも、種籾と同じ。僕らにも小さな成長の芽が覗き始める。

 集まったのは僕を含めてこの4人…案の定という感じだ。みんな研究に忙しすぎてつきあってくれない。
 水に塩を入れ種籾を入れる。沈んだ稲を選ぶ。また、新鮮な水につける。水を換える。ただそれだけのこと。でも、それができるのとできないのでは、やるのとやらないのでは大きな差があると思う。きついことでも義務として与えられれば、それをやることはたやすい。でも、やらなくても良いことをやり始めることはエネルギーが必要だ。自ら一歩を踏み出すことは本当に難しい。
 もしかしたら、人はこういう。「研究者にそんな暇はないのだよ。米づくりは農家に任せればいい。研究者はそれを対象とする研究を担えばいい。佐藤くん、他のことに一歩を踏み出すくらいなら、自分の研究を深めよう」。
 そう。僕らのやっていることは、研究者として必要のないことかもしれない。でも、やって損はないことだと思う。…そうでもない。積極的に何かを得なければいけないのだ。感覚を研ぎ澄まして、ちっちゃな田んぼからたくさんのことを学ぼう。
 こうして僕たちの意志は固まり、籾殻をもうち破る若い芽となっていく。

 バケツを用意したのは辻くんだけだったので、とりあえず僕の用意したプランタに種をまくことにした。3つのプランタに50粒くらい播いた。ある程度、大きくなったら各自のバケツに「田植え」をしよう。
 そのプランタは屋上に置いた。九州大学農学部1号館の屋上には、放置されたプランタや鉢がいくつかある。
 さすが農学部。僕と同じように、いや、僕のように遊び半分でなく、研究の対象としてなんらかの植物が栽培されていたんだろう。でも、僕だって「百姓仕事を肌で実感したい、お百姓の目線に少しでも近づきたい」という想いは負けていない。絶対に、耕作放棄はしない。
 のちのち、これら先人の努力に僕たちは多いに助けられることになる。

 播種当時、親交のある「ながさき南部生産組合」からひまわり、ひょうたん、かぼちゃ、へちまの種が送られてきた。ながさき南部生産組合は今年、25周年を迎え、その記念イベントの一つとして、これら作物の「大きさ」「美観」のコンテストを行うらしい。これらの種は組合員や関係者に送られたものである。ライバルはプロのお百姓だ。九大農学部の大学院生として負けられない。優勝賞金50万円の魅力にも悩殺され、種籾を播いた隣のプランタや鉢に、これらの種をまいた。
 これらの植物が芽を出し、実をつければ、稲とともに立派な農園ができるだろう。屋上の生物多様性も促進される。
 
 播種後、3日もすると、緑の葉が土から覗くようになった。先の尖った稲らしい葉だ。同じく、ひまわり、ひょうたん、かぼちゃ、へちまも力強い芽を出し始めた。こうなると、水やり、観察が一気に楽しくなる。朝一番に屋上に上がるのが僕たちの日課となった。昼休みも、大学から帰る前も、勉強に疲れたときでも。屋上は僕らの憩いの場となった。

 ある朝、いつものように屋上に上がる。屋上のドアを開けてプランタの小さな田んぼに向かう瞬間。バサバサと羽音を立てて、数羽のカラスが飛んでいった。「ハッ」として、プランタに駆け寄る。やっと尖った芽を出し始めた稚苗の数が減っている。倒れている苗もある。双葉の間から小さな本葉が見えだしたひまわり、ひょうたん、かぼちゃ、へちまの苗も減っている。それらは屋上のコンクリートの上に散乱していた。
 愕然とした。
 これほどカラスが憎らしいと思ったことはない。実家の目の前がゴミ捨て場で、それを荒らすカラス対策に四苦八苦したことがある。今になって思う。生ゴミを荒らしてもいい。掃除すればきれいになる。でも植物はイカン。取り戻すことができない。小さな芽を出し始めて、これからの成長を楽しみにしていたところだ。自分の子どものように大切に育て始めたところだ。

 元宇宙飛行士の秋山氏の『農人日記』に、「大豆は、播く前に赤い染料をまぶす。『鳥が食べないようにするため』だそうだ。鳥に食べられるのは、豆の芽が地上に頭を出した頃で、双葉が開く前にほとんどやられるという。その時に、緑色の芽ではなくて、赤い芽だと、鳥たちは警戒して食べないという。」(p.34)という節がある。あぁ、なるほどなぁと実感する。カラスは、緑色の小さな芽の下に、美味しい種があることを知っているのだ。カラスは賢い。
 でも、残った苗もある。鳥獣害に悩むお百姓の気持ちに一歩近づけた、と自分を納得させ、対抗策を講じる。プランタの上に、バーベキューで使っている網を被せた(そう、憩いの場となった屋上ではしばしばバーベキューが繰りひろげられている)。これで、大丈夫だろう。
 翌日、また苗が減った気がする。そのまた翌日。朝、屋上に上るとまた羽音を立ててカラスが飛んでいった。やられた。一度味を占めてしまったカラスは、プランタと網の横のすき間から攻撃していたのだ。「さすが、九大のカラスは頭がいい」等と感心している場合ではない。「お百姓は三粒種をまくのだ、一粒は自分のため、一粒は虫のため、一粒は鳥のため」などといっている場合でもない。自分たちの浅はかさが悔やまれるだけだ。
 残った稲の苗は5つ。ひまわり、ひょうたん、へちまは全滅。カボチャの苗はなぜか残った。おそらく、苗が大きくなりすぎていて、カラスも種に栄養は残ってないと思ったのだろうか。
 僕たちの芽もカラスにやられた感じ。

 話は前後するが、カラスと格闘している頃、韓国から留学中の朴(パク)さんに笑われてしまった。朴さんは、韓国農林省有機農産物の品質検査の仕事にたずさわっており、いってみれば農産物のプロだ。その朴さんと、プランタを眺めていたときのこと。カラスの被害をうけながらも、プランタの土にはひょろっとした小さな芽がワンサカ。「芽が出てなかった籾からやっと芽が出てきた。このプランタは優秀だ」と無邪気に喜んでいると「サトウさん、これはネ、ジャッソウですヨ、ジャッソウ」(韓国人はザといえず、ジャという)と思いっきり笑われた。とても恥ずかしくなった。相手がプロとはいえ、仮にも僕は九大農学部の博士課程3年。稲と雑草の芽の違いを見抜くこともできないなんて。
 もっと、もっと学ばないといけない。韓国産の朴(ほお)の大木に比べると、僕らの芽はあまりに未熟だった。 

 

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