作家。食育研究家。九州大学大学院農学研究院助教/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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屋上田んぼの話2

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その③-2000/5/23~、屋上田んぼ始動-

 カラスの害を受け、結局残った苗は5本。「バケツ稲づくりマニュアル」に書いているように、「良い苗2~3本を一つにして、バケツの中心に植え替える」と一バケツ分にしかならない。
 …やばい。苗は知り合いのお百姓にもらえばどうにでもなる。でも、苗も満足に育てられず、小学生に負けてしまう…僕たちのプライドが傷つけられる…
 僕と横手くんがいつものように屋上で酒を酌み交わしながら、米作りに夢を膨らませる。つぎの一手を考える。「どうせもらってくるなら赤米にしよう」「屋上で赤米か、きれいでしょうね」「なら、面積があった方がいいよなぁ」「そうですねぇ」「屋上一面で揺れる赤米の花見」「酒が美味いでしょうねぇ」「よし、屋上に田んぼを作ろう!!」こうして、バケツ稲づくりは屋上田んぼづくりへと発展した。
 5/23(火)、九大近くの吉塚のホームセンターに角材、合板、防水シートを買いに行く。設計図などない。その場のイメージとインスピレーションを大事に、材料を集める。鋸などの道具から買いそろえる必要があったが、合計3、000円弱。思ったより安くすんだ。
 大学に帰り、すぐさま屋上に道具、材料を運び込む。横手くんも僕も、普段から百姓仕事の手伝いをしているので、大工仕事は速い。角材と合板で田んぼの枠、いわば畦を組み、防止シートをひく。排水口が必要だということに気が付き、防水シートの一部に穴をあけ、屋上田んぼの底からパイプを出す。1時間もせずに完成。

 


 田んぼの水は、冷却水のタンクから引くことを既に考えていたので、タンクの隣に田んぼを設置。さて、つぎは土を入れなければならない。ここで、先人たちの努力に助けられることになる。放置されたプランタや鉢に残った土を次々に田んぼの中にかえしていく。しかし、それでも田んぼにたまる土はわずかだ。

 話を屋上田んぼをつくりだす少し前に戻そう。
 屋上の隅に放置された畑のようなものがある。僕らと同じく合板で枠をつくり、土を入れたものだ。そこには、放棄されたニラが元気に自生していた。しかし、放棄されて何年もなるようで、合板はボロボロ、枠も崩れかけていた。
 これが僕と同じく屋上に田んぼを作りたいと考えて、それを実践した中村修先生*1のものと知ったのは、屋上田んぼをつくる直前の5/20(土)であった。その日は、宇根豊さん*1の「農と自然の研究所」の設立総会。農民作家山下惣一氏、先進的な有機農家である八尋幸隆氏、ながさき南部生産組合の代表理事近藤一海氏、等々、錚々たるメンバーが一堂に会した。「九州農業の英知はここに集結している」とまで考えてしまうほどだ。
 その場で、以前から面識のあった中村修先生に挨拶をし、ひょんなことから屋上田んぼの構想に話が及んだ。そして、知った。あの耕作放棄ニラ畑が中村修先生のものであったこと、土運びに大変苦労したこと、マスコミの取材を3回受けたこと。
 バケツ稲の記事、カラスの害と屋上田んぼ構想、中村先生との出会い、このように考えれば、あの屋上田んぼは2000年、僕たちによって作られるべくして作られたのだとおもう。屋上田んぼの不思議な運命が僕たちを引き寄せた。
 そして、僕は中村先生の2倍の面積の屋上田んぼ作ることを決意する。九大初の試みだと思っていた。しかし、それは二番煎じだった。それならば規模を大きくしよう。面白いことをどんどんとやっていこう。その3日後、屋上田んぼが作られる。中村先生の意志も、田んぼの土も、僕らの屋上田んぼに受け継がれた。

 昔、中村先生が苦労して運んだ土を利用したことで、青い防水シートがみるみるうちに土に隠れていく。それでも、土は深さ5cmしかたまらなかった。気合いを入れて、土を運ばなければ。でも、6月と言えば、もう、真夏。Tシャツが体にへばりつくことを考えると、なかなか、重い腰が上がらない。現代の若者は、汗をかくことをいとんじゃうのだ。
 6/15(木)。メンバーが多いときに土運び決行。僕、贄田くん、横手くん、韓国からの留学生、崔(チェ)さんの4名。

 でもふと気が付いた。どこから土をもってこよう? 屋上の上から周囲を見渡す。コンクリートアスファルトばかりだ。九大の構内だってそう。唯一、土が大量にあるのは、JRの工事現場。
 「びっくりするなぁ。地球って、土に覆われてるはずじゃないのか?土壌が生態系の根底を支えているんじゃないのか?都会じゃ、その土を探すのにも苦労する。そういえば、屋上から周囲を見渡しても、視界に入る生き物の数が極端に少ない。圧倒的な緑の力も感じない。生態系を支える土がないからなのかもしれない。都会というものは命を育むことのできない恐ろしい所なのかもしれない。」
 そんなことをみんなに語りかける。みんな無言になる。今まで、あたり前だったこと、気づきもしなかったこと。屋上田んぼによってそのおかしさが見え始めた。

 工営係に剣スコをかり、九大の敷地の隅を掘り始める。そして、大きなポリバケツに入れる。重さ30~40キロもあるかというようなそのバケツを屋上まで運ぶ。当然、エレベーターは使う。でも、採土場からエレベーター、エレベータから屋上までの階段が辛い。それを4往復した。雨風で弱ったポリバケツは土の重さで微妙にゆがみ、取っ手が手に食い込む。非常にきつい作業だ。汗だくになった。でも、やっと屋上田んぼに15cmくらいの土がたまった。

 聞き取り調査を思い出す。耕地の均平化は田んぼづくり、米づくりの基本だ。水を均一に張らないといけない。ジャンボタニシがいる水田なら、なおさら。水田の凹の部分にジャンボタニシが集中し、食害を受ける。だから、冬の間に田んぼを平らにしておかなければならない。ユンボを使ったり、農家によってはスコップと一輪車をつかったり。でもお百姓は、それがなかなかできないという。水を張っていないと凸凹が分かりづらいという技術的な問題もあるにせよ、お百姓はそうした作業を年間のスケジュールに入れていないという。そして、非常に大変な作業だという。
 僕は聞き取り調査をしながらいつも思う。「意識して、頑張ってすればいいのに」。でも、土運びの大変さが身にしみてわかった。これからは軽々しく「すればいいのに」なんて思えない。
 この土運びがきつかったという話を、合鴨水稲同時作で著名な古野隆雄さんに話した。するとその答えはこうだった。「佐藤くん、それは切羽詰まって一気にやろうと思うからきついんだよ。冬の暑くないときに少しずつやっていけばいい。1日1杯。僕たち百姓だって、そうしているんだから。来年はそうしなさい」。また、お百姓に教えられる。 

 

その④-2000/6/19~、いよいよ田植えだっ-

 屋上田んぼの給水については、冷却水のタンクからひくことを既に考えていた。でも、どうやって水を引こう。タンクには網がはってあって、バケツなんかは入らないし…
 そこで、ふと目にとまったのが、屋上に上がる階段の踊り場にある石油ストーブと灯油のポリタンク。それらは夏は使われないので、そこに保管されているのだ。そうだ!!灯油ポンプを利用しよう。


 そこらへんにあった金具で戸井(水路)をつくる。それを伝わして冷却水タンクから灯油ポンプで給水。面白いように、水がたまっていく。横手にスコップで代かきをさせ、僕はモップに角材を固定したトンボ(野球とかテニスで使うあれ)のようなもので、田んぼを平らに。
 土のかたまりが、水を含んでドロドロになり、なめらかになる。いよいよ、田んぼらしくなる。こうなれば、田植えが待ち遠しい!!

 6/18(日)、この日は僕がスタッフとして係わっている環境保全ボランティア団体「山村塾」*1の田植え行事。それは、屋上田んぼに植えるための苗をゲットできるチャンスでもある。しかし、山村塾は、赤米を手で播種し、手植えをするので、余分な苗はほとんどつくらないのであった。若干は残ったものの、今年から赤米栽培と合鴨農法をはじめるというNEWお百姓も赤米の苗を欲しがっていたので譲った。当然だ。だから、赤米の苗ゲットをあきらめ、ヒノヒカリの苗を入手して帰宅。
 帰ってみると留守電が点滅。調査でお世話になっている前原市の田中幸成さんから田植えの「カセイ」の要請だ。彼は、ジャンボタニシ除草法を確立し、環境稲作研究会の副会長を務める篤農家。そんな人の頼みとあらば、屋上田んぼの田植えはあきらめるしかない。「ヨコテヘ、タウエタノム」というメモと苗を残し前原へ直行。
 そこで、これまで体験したことのない近代的な田植えを体験。1枚50a以上の圃場、6条植の田植機。田植機で、水が張られた田んぼの真ん中をすすむ。初体験。これまで、稲の生い茂った田んぼの真ん中には立ったことがあるものの、代かきした後の何も植わっていない田んぼの真ん中ははじめてだ。池にボートを浮かべているような感じ。頭の上をヒバリが舞い、水の上を風が走る。そして、僕が通った後に緑の絨毯が敷かれていく。平地の大きな田んぼで田植えをする喜びを見つけた。うれしさがこみ上げる。
 屋上田んぼは第一歩だ。いつかこんな広大な田んぼで米を作ろう。夢は広がる。でも自然に囲まれた棚田もいいなぁ。棚田と平野、どちらも捨てがたい。こんなことで悩んでる自分は幸せ者であり、経済学を学んでいない大馬鹿者か物好きと言われるだろう。
 2haもの大面積が1日もかからずに終了。…おそるべき、近代農業の生産性。いつもかかわっている棚田とは大違いだ。一度に植えることのできる条数が違う、ターンの回数が違う(機械植えでは、ターンに一番時間をくう)、圃場から圃場までの移動時間が違う。棚田農業が生産性で平地農業に追いつくわけない。
 棚田の小ささ、労働の大変さを再認識。でも、注ぎ込んでいる思いは同じなのだ。その思いまで消費者に食べてもらわないと、棚田は生き残れない、日本農業も生き残れない。いろんな田んぼで田植えをして改めて分かる。

 大学に戻ると田植えは既に終了。横手が嬉しそうに言う。「実験のため粗植と密植にわけてみました」。言われてみれば間隔が違う。でもなぁ…。
 無農薬栽培を目指す僕は、粗植を基本に考えていた。20cm×30cm間隔くらいか。密植にすると、田面の風通しが悪くなり、日光も入らなくなるので、ジメジメしてしまう。これが病気の温床となる。また、稲同士が日光を奪い合うので、ひょろーっとした稲となって、風で倒れやすくなる。粗植は株数が少なくなるが、長い目で見れば、生産性が安定するだ。有機農家に教えてもらった、無農薬の米作りの基本。
 しかし、屋上田んぼはといえば…粗植の部分で15cm×15cm。密植の部分で10cm×10cm…めちゃめちゃ密植じゃんとつっこみを入れたくなったが、まぁ、いい。失敗したときにはみんなで失敗の原因を探せばいい。これも実験、これも体験。これが田んぼの学校だ。

 田植えが終わった屋上田んぼを眺めて、ぼんやりする。お百姓は、田植えが終わると「ヒトができることはすべてやった、あとは自然まかせ」といってサナボリだ。僕たちは違う。枯れずに育つか、実は入るか、倒れないか…すべてが初体験だ。これからも気が抜けない。でもね。こうして田植えが終わった田んぼを見てホッとするのは、お百姓も僕たちも同じだ。

 こうして田んぼを眺めていると、同じ大学院の後輩が、たばこを吸いに屋上に上がってきた。珍しそうに田んぼを眺めて一言。「佐藤さん、これからも定期的に代かきなんかするんですか?」「・・・」
 横手が「大学院生のくせにそんなことも知らんとね」とでも言いたげな顔だ。まぁ、そう言うな。僕たちだって宇根さんの『田んぼの学校』を読むまでは代かきをする意味をしらなかったはず。僕たちがマシなのは、知らないことを自覚して、自分の肌で知ろうとしていること。知っていることがマシなんじゃない。だから彼もこうして知らないから質問をしたんだ。知らないこと自体を笑ってはいけないし、責めてもいけない。
 でもね。この話は、今の学問や研究の問題点を象徴する典型的な話だ。それが、屋上田んぼを通じて浮かび上がる。福岡県有機農業研究会の会合、八尋幸隆さんのむすび庵のイベント、等々。いろんな場で発言を求められると、僕はこの話をした。プロのお百姓は大爆笑する。
 ごめんな、ネタにして。いろんなところで、いいふらしちゃった。

 田植え翌日、朝一番に屋上に上がる。はじめての田回り。このワクワク感。田回りをせずにはいられない気持ち。これは、労働じゃないなぁ。
 稲作の経営調査や生産費調査に田回りの時間は入っているのか?入っていないとおかしい、念入りに田回りをするお百姓に失礼だ。でも、労働という気はしない。かといって趣味でもない。これがお百姓の真実であり、農業の実際であるのだと思う。
 田んぼをのぞき込むと、一部の苗が倒れている。水面をよく見ると、カラスの羽が浮いていた。稲を食べた様子はない。水遊び…屋上という彼らのテリトリーに面白い水遊び場が出来たので遊んでみたのか…!?
 カラスが水遊びをするのか、しないのかまでは、定かでないが、羽が浮いていたことは事実。稲が倒されていたことは事実。対策を講じなければ。またもや僕を悩ませるのはカラスだ。
 古野隆雄さんの著書『合鴨ばんざい』や『無限に拡がる合鴨水稲同時作』のカラス撃退法の一説を思い出す。「カラスはうぬぼれやさん。自分自身を頭がよいと思っているらしく、糸の輪を見ると、『人間のつくった罠に決まっている。オレはだまされないぞ』と思うらしいのです。そのプライドを逆用してカラスを近づけないようにするというわけです」(古野、1997、p.127)。
 あわてて研究室に戻り、白いビニール紐で、輪をつくって田んぼの上に張る。これで大丈夫なはず。
 でも、見た目が悪くなった。お百姓は見た目も気にするのだ。いつかきちんとテグスでやり変えよう。

 屋上田んぼの改良は続く。カラスよけをつくったのも束の間。新たな不安が頭をよぎる。「大雨が降ったらどうしよう…」。
 確かに、屋上田んぼの底には排水口をつくってある。しかし、大雨が降った場合、その排水量よりも降ってくる雨の量ほうが多いことは間違いない。そして、合板でつくった屋上田んぼの畦は約50cm近くもある。これいっぱいに水がたまったら。稲はだめになるだろう。当然、合板も腐ってしまうだろう。いや、その前に、屋上田んぼが水圧に耐えられず、崩壊してしまうかもしれない。
 オーバーフローさせなければならない。
 宇根さんの話を思い出す。田んぼの多面的機能とお百姓の水管理の話だ。
 「田んぼには水涵養機能や洪水防止機能があるというが、お百姓は大雨が降れば、排水口を開ける。棚田の畦はわざと低くつくる。水圧で決壊して棚田が崩れないように、わざとオーバーフローさせるのだ。結果としては、確かに田んぼは水を溜めているが、お百姓はそれを意識しているわけではない。『それでもいいじゃないか』という人もいるが、その主張には無理がある。」というのが宇根さんの理論だ(その先が知りたい人は宇根さんの本を読もう)。…そうだ!! 屋上田んぼにもわざとオーバーフローさせる仕組みをつくらなければならない。そこで、合板の田面の15cmくらい上の部分に穴を開け排水口にする。土砂やゴミが屋上にもれ出さないように、排水口に網を張る。排水口から流れ出しっぱなしでは、合板に水がしみ、耐久性が落ちるので、排水口に戸井をつなぎ屋上田んぼの遠くに水を逃がす。
 排水という問題に気がつき、それを工夫して解決できたことに満足する。屋上田んぼは僕たちの知恵の結晶だ。こうした工夫を積み重ね、屋上田んぼは僕らの誇りとなる。

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