食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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屋上田んぼの話7

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その⑩-2000/8/13~、お百姓の心にまた一歩近づけた-

 忘れもしない8月13日。僕たちが屋上田んぼをつくり始めて最も激怒した日だ。
 朝、いつものように屋上田んぼにあがる。その晩からお盆のため帰省。その間の水管理は留学生に既に頼んである。でも、僕がいない間、稲は大丈夫だろうか? 不安で仕方がない。
 小さいながらも、田回りをし、田んぼに給水。少しの期間、会えないという思いもあり、もう一度田周り。そして気がついた。田んぼの一部が変だ。しおれているし…?
 のぞき込む。四株くらいにかけて、白いものが糸を引きながら稲に絡まっている。酸っぱいにおい。嘔吐物だ。
 愕然とした。怒りと同時に頭が犯人を割り出そうとする。1号館の屋上に上ってくるのは1号館の住人…。
 その日が平日で、普通に学生がいれば犯人を捜して怒鳴り込んでいただろう。それほど腹が立ったのだ。でも既にお盆休みで学校には学生はおらず(実際に階段を下りるとこまでした。)…少し冷静になる。横手くんに状況を報告(こんな時に限って留守電やし)。それでますます冷静なれた
 実家に向かう車の中で考える。お百姓の気持ちについて。一瞬思う。「怒りが解った。大切な田んぼに、ゴミを投げられる気持ち。またお百姓に近づけた」。でも、すぐに思い出した言葉。田中さんが、納屋に溜まった空き缶を指さしながら、「佐藤くん、これナンと思う?田んぼに捨てられた空き缶。これを拾うのが日課になった…」。これがお百姓か…この心の広さ。生活もかかっていない屋上田んぼごときで頭にきてはいかんなぁ。まだまだ、お百姓の道はほど遠い。
 それに比べて、九大農学部。レベル低すぎ。農業を学びながら、屋上田んぼに嘔吐…。まぁ、それは、コンクリートの上に吐くよりは目立たないし、有機物になるなんて思ったかもしれん。でもな、そんな理屈は実際に田んぼを作ってきた僕たちには通用しないからね。机にしがみついてどんなに高尚な研究を重ねても、お百姓の気持ちも分からないようじゃつまらんと思う。僕たちは、(机の上の)勉強時間を削って、おかしなことをしているけれど、想いじゃ負けん。
 普通の学生との、田んぼに対する気持ちの差を実感。僕たちに手足が生えたことも実感。地に足がついてきた。
 


その⑪-2000/8/17~、まだまだ学べる屋上田んぼ-

 屋上田んぼにはまだまだ学ぶべきことがたくさん眠っている。そしてそれは、神経を研ぎ澄まして、注意深く田んぼを観察することによって気づくことができる。
 この頃の屋上田んぼの稲は、まるで普通の田んぼの稲のようだった。背白ウンカやコブノメイ蛾といった害虫の被害は多少あるものの、そこらへんがさらに普通の田んぼっぽい。分けつも、伸長具合等もいたって順調だ。
 そして、稲の成長を最も実感できるのが水管理だ。
 田植えしてからしばらくの間は、ほとんど水の減る様子がわからなかった。一度、屋上田んぼに水を溜めれば、3日は水があった。毎日、給水はしていたものの、翌朝に土が覗いているなんてことは決してなかった。
 しかし、この8月にはいると、水は1日ともたなくなった。朝、昼、帰る前に給水。それでも翌朝には土が覗く。成長に必要な水分も、蒸散量も、水面からの蒸発量も格段に多くなったのだ。
 屋上田んぼ作成時は、水を落としたいときに水を落とせるように(当然、根に酸素を供給するため)、屋上田んぼの底に排水口をつくった。アゾラを入れたため、中干しができない(アゾラが枯れちゃうからね)なんて心配したこともあった。しかし、そんな苦労や心配は全くの無用になった。毎日が中干しだ。
 水管理をすることで稲の成長が実感できるというのは、お百姓仕事ならではの喜びだ。

 こうして、水の減り方が増え、毎朝、土が覗くようになると屋上田んぼの中にも変化が現れる。これまで、屋上田んぼ一面を覆っていた浮草類の種類が変化してきたのだ。
 宇根さんからもらってきたアゾラ(アカウキクサ)の中には、ウキクサも少し混ざっていた。そして、この他に、アオウキクサもあること、ウキクサとアオウキクサは似ているが、裏が緑色のものがアオウキクサ、赤いものがウキクサであることを教えてもらっていた。
 屋上田んぼにそれらを入れてからこれまでアゾラの生育は順調だった。はじめ田面の4分の1しか覆っていなかったアゾラは、1週間もしないうちに田面いっぱいに広がった。あまりに増えすぎたので(前に述べたように、ビオトープとしては水面がキラキラする部分があった方がいいのだ)、アゾラを分家させることにした。アゾラを田面の4分の1くらい残し、他のアゾラはポリバケツにいれて、黒木の椿原さんの農園に分家させた。しかし、それでもアゾラはすぐ屋上田んぼいっぱいになる。アゾラの繁殖力は恐ろしい。まるでネズミ算…いや、ネズミに縁がない僕たちにとってはアゾラ算といったほうが、もう意味が通じてしまう。
 しかし、繁殖力の旺盛なアゾラも、水が切れるようになるとどんどんと減っていった。その一方で、ウキクサがどんどんと繁殖していった。アゾラは乾燥に弱いのだ。一方、ウキクサは少々水気が無くなっても生き残ることができる。科学的に証明したわけではないが、感覚的に分かる。

 



 お百姓がどのようにして、あの豊かな知識を手に入れることができるのかが分かる。田んぼの変化、生き物を見つめるまなざし、肌を通じての経験、それしかない。

 稲の葉が茂ってきて新たに実感できたこと。それは、粗植・密植と稲の成長具合の関係だ。
 それが実感できたのは、横手くんのあの田植えのおかげだ。横手くんは田植えの時に実験だといって、粗植と密植を半々にした(粗植といっても普通の田んぼに比べたら密植なのでそれに対して不満があったことは前に述べたとおり)。
 稲が十分に育ったこの時期、屋上田んぼを真横から眺めると稲の高さが違うことに気が付いた。密植の稲が粗植の稲に比べて数センチ高い。横から見て肉眼ではっきりと分かるほどだ。
 あわてて分けつの仕方の違いも確認。枠側(外側、畦際)の稲はそう違いはないが、中側の稲は明らかに違う。粗植側は分けつがすすみ株が太く、密植側は株が小さい。やはり、光だ。枠側は密植でも、まぁ、光りが当たっているので、分けつがすすんでいる。一方、密植の内側は、光りが少ないので稲が上へ上へ伸びていったのだ。
 「単位面積当たりの分けつ数は、移植本数に関わらず、ほぼ決まっているといわれている。狭い面積にたくさん植えると、自然に分けつの数は少なくなっていく。」納得。
 頭ではわかっていること、単なる知識が、また、僕たちのものになった。

 こうして、この夏、屋上田んぼは僕たちに多くのことを教えてくれ、僕たちの憩いの場としても大活躍してくれた(何度、屋上田んぼを見ながらのバーベキュー大会を開いたことだろう。屋上田んぼの隣でももちの花火大会を眺めることもできたのだ)。
 そして、いろんな生き物たちの憩いの場にもなった。この夏に確認できたのは、数種類の蜘蛛、可愛いテントウムシ、たくさんのミツバチ(これは屋上田んぼの隣のプランタに植えたニラの花によってきた)、そして5cmほどもある大バッタ。本当なら、種類や名前まで同定すべきなのだろうけれど、僕たちにはそれほど時間があり余っていなかった。…本気になりすぎたらいけない。かかりきりになりすぎたら本末転倒だ。屋上田んぼは余裕の産物、だからこそ意味があるのだ。
 話を戻そう。それらたくさんの虫が屋上田んぼに集まってきたことは、本当に嬉しいことだった。カブトエビや、貝エビやドジョウのように自分たちが放したわけではない。自分たちで勝手に集まって来たのだ。それはウンカや、あの憎きコブノメイ蛾のおかげかもしれない。
 普通の田んぼのように生き物の豊かな田んぼをつくろうという僕たちの目標は、なんとか達成できたことにしよう。 

 

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