その⑥-2000/6/30~、日の目を見る屋上田んぼ-
話を少し元に戻そう。6/7(水)。僕の所属する九州大学農業経済学教室と日本農業新聞との懇談会が設けられた。そこで、農業新聞の記者、高川さんと出会った。話を聞けば、有機農業や環境に思いを持った人のようだ。僕は最初、教授の隣で、静かに話を聞いていたが、酒の力もあって場が盛り上がってくると、高川さんに今自分が関わっている屋上田んぼや「山村塾」の話題を切り出した。大変興味を持って聞いてもらった。事前に行事予定を知らせれば、取材に来てくれるという。メールアドレスを交換し、宴を終えた。その場は普通の懇談会にすぎなかったが、後に考えれば、あの宴が、僕にとって、屋上田んぼにとって大きな飛躍となるきっかけであった。
翌日から高川さんとメールの交換が始まる。山村塾の行事や屋上田んぼをつくった思いや経緯等をメールに流す。宇根さんに屋上田んぼを見てもらいたいこともあって、宇根さんが来学する6/30(金)に取材決定。目立ちたがり屋の僕たちは、その時点で大はしゃぎだ。
いつものように田んぼを眺め(その後はきまって飲み会になるのだが)、取材に備えて、次の一手を考える。
その頃の屋上田んぼは、カラスよけのための白いビニール紐がつるされ、田んぼの回りのコンクリートのすき間からは雑草が生い茂り、とても見苦しかった。
人様に田んぼを見せるには、取材を受けるにはなおさら見た目が大事だ。しっかりと手入れをしているという証である見た目はお百姓のプライドだ。お百姓だって、研究会や現地検討会等の機会に、人に田んぼを見てもらうときには念入りに畦草刈りをし、ゴミを拾う。僕らだって思いは一緒。手塩にかけて育ててきた、屋上田んぼや稲を人様に見てもらうのだ。
僕らは白いビニール紐をテグスに変えた。回りのコンクリートにはえている雑草も抜いた。屋上田んぼがスマートになった。しかし、まだ何かが足りないことに気が付く。
・・・。よし、看板をつくろう。看板をつくるというアイデアは前からあったのだが、絵心、字心のない僕たちは二の足を踏んでいた。いつものように、吉塚のホームセンターに行き材料をそろえる。
さて、何を書こうか? まずは、名前だ。キーワードを並べる。「屋上」「水田」…でも水田より田んぼだな。でも、今までどおりの「屋上田んぼ」にはメッセージ性がない。キーワードになり得ない。そう、僕は、キーワードの重要性を重々承知していた。取材を受けるときなんかは特にだ。これは、「虫見板」「ただの虫」「環境稲作」という魅力的な言葉を創造してきた宇根さんの直伝だ。
「多面的機能」「めぐみ」…多面的機能は学術的。多面的機能論を学ぶ僕にとって重要なキーワードだ(以前、日本農業新聞の一面に、研究室の教授、横川先生の多面的機能の授業が取り上げられた。その流れを汲めば多面的機能だなぁ。記事にも取り上げやすいはず…という、したたかなことまで考えながら)。一方、めぐみは宇根さんの好きな言葉だ。お百姓は多面的機能は実感したことはないが、めぐみは常に実感しているからだという。お百姓の気持ちを理解しようとしている僕たちにとっては、めぐみのほうがしっくりくるのだが。
「生物多様性」「生き物のにぎわい」…生物多様性も重要なキーワードだが、硬すぎる。生き物のにぎわいっていう言葉は宇根さんがよく使うが、にぎわいっていうのも…お祭り気分のような気がするし、屋上田んぼはそう生き物でにぎわっていない。
一時間以上も延々、議論を重ねて屋上田んぼの名前が決定した。『多面的機能実感田-生き物を育む田んぼのすごさを知ろう-』。ポイントは「すごさ」だ。この屋上田んぼに取り組みはじめて実感できた。田んぼはすごいのだ。
その僕たちの思い、横川先生の教え、宇根さんへの敬意、すべてを詰め込んで屋上田んぼに名前がついた(でも、通称は屋上田んぼのままだったりする)。
6月30日(金)。いよいよ取材当日。辻くん、贄田くん、横手くんが教室に集まる。昼過ぎ、宇根さんが来た。高川さんも来た。
ひとしきり宇根さんの「農と自然の研究所」の話を聞き、屋上田んぼへ。いよいよ屋上田んぼが日の目を見る。昨日の夜まで積み重ねてきた努力が試されるときだ。
そのころの屋上田んぼは、田植えからほぼ10日が過ぎ、しっかりと屋上の上に盛られた土に根付いていた。自立した生命として成長している。アゾラも快調。田面の半分を覆うほどになっていた。もう、形としては立派な田んぼになっていた。
屋上田んぼを見た人は、まず、独創性にあふれた給水システムに感心してくれる。この工夫は、僕らなりの知恵だ。お百姓の知恵に僕らが感心するのと同じように、みんな感心してくれる。だから、お百姓に近づけたような気がしてとても嬉しくなる。
宇根さんが口を開く。「なかなか本格的、九大の学生がここまでやるようになった。」高川さんが宇根さんのコメントにメモを取る。「でもね、普通の田んぼに比べて生き物が少ないねぇ。今、ウチの田んぼはウンカがギッシリなのに、この田んぼには一匹もいない。でも逆に、この田んぼによって、他の環境、つまり水路とか川とか、そういうものとのつながりの重要性が分かるんじゃないのかなぁ。」
…愕然とする。生き物の豊かな田んぼにしようと努力してきた。貝エビもまだ生きているし、アゾラも元気。でも、宇根さんのこの指摘。いま、他の田んぼではウンカがぎっしりなのか。それも知らなかった。
そして、ウンカがいないということ。普通の田んぼなら、害虫であるウンカがいないことは嬉しいだろう。でも僕の考えは違う。ウンカがいないということは、ウンカが来たくなるほど魅力的な田んぼではないのだ。そして、ウンカがいなければそれを食べる蜘蛛などの益虫もやってこないということ。生態系が貧弱であるということ。
ウンカよ! やってこい!! お百姓にあらざる気持ちが頭をよぎる。でも、そうすれば屋上田んぼも一人前だ。ウンカの一匹もいない田んぼなんて、単なる米生産工場なのだ。宇根さんが唱える害虫の役割、ただの虫の重要性を身にしみて感じる。
高川さんが4年生にコメントを求める。辻くんは、僕と二人で屋上田んぼの上を舞う赤トンボを見たこと嬉しそうに語る。横手くんが宇根さんに質問を投げかけている。高川さんはそれをメモし、カメラを構える。
少し僕は冷静になってみんなの取材の様子を眺める。そして思う。屋上田んぼは間違っていなかった。ちょっとした思いつきから始まったことだけど、その波紋は確実に広がっている。立場を超えた人たちが屋上田んぼを取り囲み、自分の思いを語り合える。これは屋上田んぼのなせる技だ。
僕たちを育ててくてる屋上田んぼにあらためて感謝だ。
僕は、この取材の記事が日本農業新聞の九州版にでも載れば万々歳だと思っていた。僕を応援してくれている、九州各地のお百姓に対する感謝の表れになる。同じ思いを持って有機農業や環境保全型農業研究に取り組む研究仲間へのエールにもなる。逆に机にしがみついている農業研究者に対するアンチテーゼにもなる。ちょっとした思いつきから始めて、自分たちのためにやっていることだ。九州版で大満足。
でも、ことは思いもしない方向へ向かう。
取材の翌日、翌々日も日本農業新聞に屋上田んぼの記事は載らなかった。やはり無理だったのかって諦めてしまいそうになる。そんなとき高川さんからメールが入った。「7月4日(火)の九州版に掲載決定」。本気で喜んだね。
でも、その日の九州版には載らず、またメールが入る。「全国版に記事が引き抜かれた。掲載日は未定だけど。東京のデスクが、こんな面白い学生、好きだっていってたよ。農家がこんな学生をどう思うかが記事として面白いって。」
なんか凄いことになってきた。それから毎日、日本農業新聞をすみからすみまでくまなくチェック。そして、7月8日(土)。載ってしまった。「九大学生が屋上に田んぼ!!」。日本農業新聞一面、それもトップ記事だ。そのころ巷では、雪印事件で大騒ぎだったのだが、雪印を越えてしまった。やっぱり明るい記事のほうが楽しいもんね。
新聞をコピーし、実家にFAXする。そして、全国の研究仲間からメールが届く。調査に行けば、「新聞見たよ」といわれる。何かの会合、集まりに出れば、「屋上田んぼの話をして」と言われる。黒木の椿原さんは大事に新聞を保管し、本棚に並べてくれてある。単なる学生のお遊びが、そうでなくなった瞬間だった。
僕が最初に決意したこと。「屋上田んぼは役に立つはず、いや、役に立つようにしないといけない」。これが少し現実となった。
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