昨晩は雲仙市で講演。
とても帰れる時間ではないので
雲仙泊。
今日の午後は
中間市での仕事。
雲仙の温泉でも入って
ゆっくりして
直接、中間市入りして…
なんて考えていたのですが
「祭日に、パパとまったく遊ばないのは
おとちゃん、とらちゃんが悲しむ」
と思い、5:00起床で帰宅。
8:00に帰り着き
遊びました。
昼前に出発し、仕事のため中間市へ。
依頼は
「婚学講演」+「ワールド・カフェのファシリテーター」。
正直言って
私はワールド・カフェは好きではありません。
ワークショップのアクティビティとして
レベルが低いと思っています。
ウチのヨメもお金をもらって
ファシリテーターやっています。
いろいろと意見のあわない夫婦ですが
これだけは意見があいます。
「ワールド・カフェはレベルが低い」
なぜ、そう思うか。
いろいろありますが
そのいくつか。
ワールドカフェの基本哲学は
100万分の1の
1人のカリスマ・天才よりも
100人の凡人が勝る。
みんな対等。
そんなことないです。
100人の凡人が集まっても
アップル
マイクロソフト
ソフトバンク
ホンダ…
絶対に作れません。
スティーブ・ジョブス
ビル・ゲイツ
孫正義
本田宗一郎…
というカリスマ・天才が
その企業を作り上げたのです。
ある課題を解決するのに
知識・経験豊かな人も発言時間1分
知識・経験乏しい人も発言時間1分
なんてありえないです。
知識・経験が豊かな人の
話は聞かなきゃ。
「知識・経験に豊かな人は
知識・経験に乏しい人のセンスに気づけない」
なんてことを言う人がいますが
知識・経験に豊かな人は
知識・経験に乏しい人のセンスに気づけない
ことを知っているので
知識・経験に乏しい人の意見を求めるのです。
これが経験です。
さてワークショップをやるうえで
大切なのは
課題解決のための
アウトプットの
クリティカルなクオリティです。
ワールドカフェは
知識・経験の共有・標準化という点では意味があります。
また、発言・共有したことで
実行を促す意味はあります。
だけどケミストリーを生む
仕掛けがありません。
だからクオリティが低くなります。
先日、福岡県の公務員が参加する
100人規模のワールドカフェに参加しました。
皆、やる気と才能と経験のある人たちだと思います。
しかし…。
地域や行政内部の問題解決のための
具体的なアイデアを考えるというテーマでしたが
出てきたアイデアが
私からすればひどかった。
実現可能性が低い。
費用対効果が低い。
これだけ有能な公務員が集まっても
ワールドカフェなら
この程度のアイデアに留まるんだ
と思いました。
私がいるチームは
明日にでもできる
費用対効果が高い
アイデアを提案しました。
それができたのは
(自慢ですが)
私がいたからだと思います。
いろんなアイデアを
組み合わせて
ケミストリーにする存在が
グループに必要なのです。
その存在が無ければ
ワールドカフェをやっても
実現可能性も、費用対効果も低い
アイデアを言い合って終わりです。
話して共有して
終わりです。
これが
ワールド・カフェ
です。
ファシリテーターは
ある課題、突きつけられた課題に対して
オリジナルのプログラム、アクティビティ、
フレーム、ワークシートを発案し
参加者に
情報共有、発想、議論、検討、評価、合意形成、実行
をちゃんとさせる。
それが
ファシリテーターであり
ワークショップです。
中間市に向かう車の中で
真剣に考えました。
どうやったら
この課題を解決するワークショップができるか。
でも、ワールドカフェはマスト。
(模造紙、プロッキーなど準備しているし)
ということで
考え抜いてプログラムを発案し
(主催者は困ったと思いますが)
全部、アドリブでやりました。
すごくよかったのではないかと
自己評価しています。