同じ西2組に住む100歳のおばあちゃんが
亡くなったということで、
急遽、お通夜の受付係に。
※通夜、葬儀の受付は、同じ西2組が担うという
しきたりがある。
この年になると
いろいろ考えさせられる。
自分の親の葬儀や自分の葬儀や。
100歳のおばあちゃんに通夜に
どれだけ参列者がいるんだろう
と思っていたら
思った以上に多かった。
なにより、親戚が多かった。
子ども、孫、ひ孫、玄孫。
お通夜だから悲しいはずなんだけど
久しぶりに親族が集まったようで
「大きくなったね~」
とかあたたかい。
子どもが、おじさんに
ちょっかいを出したりして
なぜかあたたかい。
通夜や葬式はそんな意味がある。
「死に仏より生き仏」
のためのものだ。
私や、私の親だけでなく
これからの通夜や葬式は
どんどん寂しくなるだろう。
子どもが少なく
親戚が少ないからだ。
働き盛りで死ねば
(父、史朗のように)
参列者は500人にもなる。
だけど
医療が発達し
早死にする可能性は
少なくなったし
長生きすればするほど
仲間は死んで参列者も少なくなる。
まぁ、参列者が多いから
いいというわけでもないし
そもそも自分は死んでいるのだから
参列者の数とか
通夜が「あたたかい」とか「さみしい」
とかもわかんないんだけど。
2時間、通夜の受付をしながら
そんなことを考えてました。
↑youtube、チャンネル登録、お願いします
不定期8:00に配信、ゴーシ先生のLINE公式↓
この記事に、いいね!
と思った方は是非、読者登録を↓(blogを更新するとお知らせが届きます)