昨日、大学の旧教員の訃報が届きました。
破天荒なゴーシ先生でも
「佐藤先生は面白いね」
と認めてくれた先生だったので
心からご冥福をお祈りしました。
問題はその後です。
同窓会から
「供花を出すように」
「弔文を出すように」
という指示。
働き盛りの人が
貴重な時間を使って
供花、弔文を出す事務手続きをしていることを
故人が喜ぶんでしょうか?
まぁ、仮に故人が喜ぶとしても
その供花、弔文は見れないわけだし。
遺族は見れます。
では、遺族がどう思うかということです。
供花や弔文がたくさん届くと
「あ~うちの夫は人望があったんだ」
と喜ぶのかも知れません。
だけど
その弔文は定型句がほとんどです。
おんなじ文面が100通届いても
ゴーシ先生なら
「あ~。。。それくらいのもんだったか。。。」
ってなる。
むしろ心を込めたオリジナルの弔電が
一通でも届いたほうがうれしいかな。
人がなくなったから
同窓会として
供花、弔文
なんて思考停止の伝統、やめればいいのに。
というか
供花、弔文よりも
故人を偲んで
思いっきり昔話に花を咲かせるほうが
絶対に弔いになるはず。
ゴーシ先生が死んだら
そうしてね。
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