食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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『士魂商才の実業家から学ぶ学ぶ人生哲学と地域への愛着心』

本日(3/14)、夜は
福岡青年会議所主催の公開例会。

百田尚樹
『士魂商才の実業家から学ぶ学ぶ人生哲学と地域への愛着心』
に参加。

 

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以下、そのまとめ。

 

【作家の扉を開くきっかけ】

百田氏は2006年に、作家としてデビュー。
それ以前は、お笑い専門の放送作家
探偵ナイトスクープ」は今年30周年を迎えますが
start当初から企画に参加。

 

2005年11月に、ふと思います。
「1年早かったな。年明けたら50歳か」

これまでの人生で
過去を振り返ったことはありませんでした。
その瞬間その瞬間ではbestを尽くしてきました。

しかし、50歳を迎えるにあたって
「今まで何してきたのか?」
「男として命がけで、命を燃やしてやれることはないのか?」
「何か、新しいことはできないのか?」

 

でも
「50歳を迎える、今からでは無理だ。。。」
という考えが頭をめぐります。

 

そんな考えを打ち破ったのが
探偵ナイトスクープ』の
大晦日4hのスペシャル放送でした。

名作VTRを再編集し、
ナレーションの付け直します。

その中であるVTRが
百田氏の心を掴みました。

(講演会場にPCとネット環境を持ち込んでいるので
 すぐに調べます)

それがコレ↓


マジシャンに弟子入り・ナイトスクープ

このVTRに出てくる93歳の入江さん。
整体師らしいのですが、免許をとったのが数年前。

 

「こんな高齢でも挑戦できるのか…やろう!」

テレビ番組は
映像、音楽、等々、チームで仕事をしています。

たった一人で
文字だけで、どこまで表現できるか。

一念発起しました。

 

【『永遠の零』を書くきっかけ】

書きたいテーマはいくつかありました。

その頃、大正13年生まれの父親
末期がんで余命半年でした。

その前年に叔父がなくなりました。
叔父は大東亜戦争に従軍していました。

大東亜戦争を戦った男たちが
日本からどんどん消えて行っていることに気が付きました。

 

百田氏はs31年早生まれ。
当時は、戦争の話はすごく身近にありました。
親戚が集まると、必ず、戦争の話になります。
近所の人、先生も戦争帰りです。
s20、s30年代生まれは戦争の話が日常でした。

しかし、百田氏のお父さんも
孫(百田氏の子ども)には
戦争の話を一切しませんでした。

「記憶の断絶がある!」と思いました。
直接、戦争の話を聞いた世代として、
次の世代に伝えていく義務があるのではないか。

 

そして『永遠の零』ができました。

そこに込めたテーマ、メッセージは
「人は何のために生きるのか」
「家族とは何か」。

そして構成は
「父の世代と、子供の世代をつなげたい」

 

当初は全く売れなかった『永遠の零』は
口コミで売り上げが伸び
映画化され、ベストセラーになりました。

若い人たちが読んで最も多い感想は
「知らなかった」。

自分たちのおじいちゃん、
おばあちゃんはその時代を
どういう風に生きてきたかを知らなかった。

次に
「残念だ」
「もう聞けない」。

 

歴史は点ではなく、線。
現代の問題を理解するためには、
過去の歴史の線を理解しなければなりません。

 

【スランプ】

ある時、小説が書けなくなりました。
何を書いても筆が止まるのです。
理由は「東日本大震災」。

 

これまで「探偵ナイトスクープ」の企画会議は
笑いが止まらなかったのです。
「依頼文」を読んでいるだけでも面白い。

しかし、震災後は、笑いが起きません。
バラエティーを作る元気さえなくなります。

当然、執筆する気もなくなります。
「この物語を必要としている人がいるのか?」

石巻には日本で一番大きな製紙工場がありました。
紙がなかったのです。
「貴重な紙を使って出版をする価値があるのか?」

そうして筆が止まるようになりました。

 

【『海賊と呼ばれた男』を書くきっかけ】

スランプ脱出のカギは福岡でした。

ある人から
日章丸事件って知ってる?」
と問われ、知りません。

少し調べると
とてもドラマチック。

「知らなかったの自分だけ?」
と思い20人に
「知ってる?」
って聞いても誰も知らない。

講談社の学芸局の編集長と出会い
日章丸事件って知ってる?」
「知りません」。

 

しばらくして
段ボールで「日章丸事件」の資料が届きます。

そこには
男たちのすさまじい執念、ドラマ
がありました。

「この物語を多くの人に届けたい」
と思い、執筆開始。
執筆が嫌いな百田氏が
毎日毎日、十何時間書き続けました。

 

日章丸事件のミッションを完遂するには
3つのハードルがありました。

  • 一つ目のハードル:信用状。
  • 二つ目のハードル:保険。
  • 三つ目のハードル:ドル枠。

日章丸の航海も劇的で
ドラマチックですが
驚いたのは
当時は
銀行にも、保険会社にも、官僚にも
侍がいたことです。

失敗したら、自分の首が飛びます。
会社に大損害を与えます。
それでも、なぜ、やったか。
それは
「日本の復興に役立つはず!」
という信念があったからです。

なぜ、当時、これほどまでの侍がいたのでしょう?

 

【大正生まれの男たち】

二つの作品を書いて気が付いたのは
そこに出てくる男たちは同じ男たちでした。

大正生まれの男たちです。


大東亜戦争での
一般の死亡者は80万人でした。
戦場で亡くなった人は230万人。
うち、200万人が大正生まれ。

 

大正は明治、昭和に比べて短く
15年しかありません。

大正の15年で生まれたのは1340万人。
そのうち、200万人が戦争で死にました。

特に、大正の後半の世代は4人に1人が死にました。

青春時代を戦場で過ごしました。

そして敗戦。

ボロボロになって日本に戻ってきました。

当時の日本は
東京も、大阪も、焼野原。
何もありませんでした。

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GHQの報告書では
「50年たっても昭和5年の生活水準に戻るかどうか」
と記載されたほどでした。


何もないので
自力で立て直すしかありません。

当時の日本は、世界最貧国。
ゼロからのスタートではなく
莫大な戦争賠償金があるので
大きなマイナスからのスタート。

 

しかし、実際には
復興に20年もかかりませんでした。
s39年に、東京オリンピックがあり
夢の技術、新幹線が世界に先駆けて開通しました。
GDPが、イギリスを抜きました。

 

資源が何もない日本です。
当時の日本人はどれだけ働いたのか?
ということです。
そこで働いたのは
大正生まれの戦争から帰ってきた男たち
です。

 

【おわりに】

大正の世代は最も不幸な世代でしょう。
でも、最も偉大な世代です。
他人のために生きた世代です。
私は日本に感謝しています。


生まれたのは貧しい時代でしたが
素晴らしい時代でした。

現在、豊かさの上に胡坐をかいてはいけない。

先人が残した素晴らしい日本に
少しでも上乗せして
上乗せできなくても、
そのまま次の世代に渡したい。

世の中のためになることを
一つでも人のためになることをやって死にたい。