昨日の、「福吉の学校の未来」推進協議会。
教育委員会との意見交換会。
「説明会や意見交換会のような皆が集まる場では
発言できないので
匿名でアンケートをしてほしい」
という電話が教育委員会にあったとのこと。
だから、そういう声を受け止めるためにも
全区民を対象としたアンケートを実施すべきではないか
とのこと。
「アンケートを実施するかどうかも協議会で判断します」
と回答した。
というのは
いろんな問題があるからだ。
その①。
たった1本の電話のために多大なエネルギーや時間、コストを
投入するのかということ。
いわゆるノイジーマイノリティだ。
基本的には、大半の方々が
「協議会の皆さんにまかせた!」
と黙って任せてくれている。
これがサイレントマジョリティ。
しかし、こうして声が大きい
ノイジーマイノリティの声が
反映されやすくなる。
うるさいから。
で、行政はホームランを打つよりも
失点を恐れる手法をとる。
こういう電話があれば
その種火が炎上しないように
なんとか火消しようとして
すぐに
「アンケートをとりましょう」
みたいな発想になる。
余談だが、昨日、教育委員会から
「子どもは多様な人間関係の中で
成長していくことが肝要」
みたいな発言があった。
だから、学校規模適正化
(1学年複数クラス)が必要だという。
理屈はその通り。
しかし、それは
不登校やひきこもり、フリースクールの存在を
否定するような発言だし
そもそも、そんな時代じゃない。
人間関係の形成が苦手でも
友達がいなくても、
イノベーションをおこし
社会を切り拓いていく存在は
いくらでもいる。
昭和の「友達100人できるかな」幻想だ。
いろんな人たちを苦しめる呪いの言葉だ。
そんな行政職員が
糸島市の教育行政を担っていると思うと
本当に恐ろしい。
さて、
少数派の意見を聞くことは大事でだけど
それにとらわれ過ぎると
実は民主主義の根幹を揺るがしかねないことになる。
「声が大きい人勝ち」みたいな。
全区民アンケートなんて
耳障りは良いけど
費用対効果はメチャクチャ悪い。
そのエネルギー、時間、コストは
別なコトに割いたほうが生産的だろう。
その②
もし、アンケートをとって
その結果が出たとする。
しかし、推進協議会の最終答申が
アンケート結果と別なものになるとする。
そうすると
「区民の声が全然反映されていない!独裁的だ!」
と、ハレーションが大きくなる。
多様な意見を聞くにしても
定量的に明らかにすべきことと
定性的に明らかにすべきことは違う。
教育委員会というか行政職員は、
そんな戦略とか戦術とか全く頭にない。
その③
アンケートなど個別の意見を丁寧に聞くとしても
それが地域の効用の最大化になるとは限らない。
みんな個人の効用の最大化しか考えていないからだ。
具体的に、簡潔に言えば
「自分の子どもを二丈中に通わせたい子どもは
二丈中との統合が自分たちにとってありがたく
福吉中学校で学びたい子どもの権利とか
地域、伝統文化、環境…なんて後回し」
なのだ。
個人の効用の総和は
地域の効用の最大化、最適化にはならない。
行政区内の様々な問題にしてもそう。
みんな個人の不満や権利を主張するだけで
他の人のことなんて考えていないし
代替案も考えてないし
全然動こうともしない。
こういう地域問題は
ミクロ的にも
マクロ的にも捉え、考えることができ
そのバランスをとり
現実的な着地点を見出し
丁寧に合意形成していくプロセスが必要、
そうして個人、地域の効用を最大化できる
能力がある人が必要なのだ。
日本の経済社会が
ここまで没落、凋落してしまったのは
こういうことなのだろう。
個人情報が!
と言って住基ネット、マイナンバーが進まなかったり
使えない人はどうする!
と言ってキャッシュレスが進まなかったり
仕事がなくなる!
と言ってライドシェアが進まなかったり。
社会全体の効用よりも
ノイジーな個人の効用優先しすぎた結果だろう。
まぁ、そういう人は
こうしたことさえ考えていないのだけれど。
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