重松清さんの『きみの友だち』を読んで
湊かなえさんの作品と読み比べてみたくなった。
一応、物書きとして
比較分析したくなった。
どう書けば、重松さんっぽくなるのか。
どう書けば、湊さんっぽくなるのか。
そこで
湊かなえさん『贖罪』を購入。
一気に読んだ。
構成としては、章ごとに
5人の女性が手紙やスピーチなどの方法で
1人称で独自の表現で語っていく。
そうして1つの事件とその後の15年間の全体像がわかる。
そういう意味では『きみの友だち』『告白』と同じ感じ。
また『悪人』を読んだ時のメッセージ性も感じた。
つまり「本当の悪人は誰か?」ということだ。
読んでいくと、こいつが悪い、こいつも悪い、
やっぱり本当はこいつが…
じゃぁ、みんなじゃん…
でも、本質的には…
みたいな。
ただ、読まなきゃよかったと思うほど
この世の不幸を5人の女性にすべて背負い込ませたような内容。
そしていたるところに
「男と女」という要素が含まれている。
それが現実と言えば、現実なのだろう。
だけど、目をそむけたくなるような要素であることは間違いない。
また「親と子」という要素にしてもそうだ。
ねっとりとしたドロドロとしたミステリーになるのだろう。
最後に思うのが、
なぜミステリーは、
「オチをこねくり回しすぎるのだろう」。
ネタバレ含め書くと
被害者の女児を殺害したのは
実の父親で(本人は知らない)
フリースクールを運営する加害者は
物件探しのためその村を訪れ、
その女児を選び、性的加害、殺害した。
加害者は、女児の母親の元恋人で…。
みたいな鮮やかな驚きを提供しようとしているのだけれど
必然のように描きながら
物件探しも、女児を選んだのも「偶然」。
だから急にウソっぽくなってしまう。
まぁ、読者はそんな鮮やかな驚きが好きなのだろうけど。
だからこそミステリーなのだけれど。
同じ書くなら、
重松清さんのような作品がいいな。
ちなみにこの『贖罪』も
ドラマ化されている。
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