食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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民主化された時代の生き方

先日、ある講演で
ふと思いついて、アドリブで
こんなお話をしました。

 

昔は、情報がなかったので
情報が貴重であり
情報を持っている人間が
重宝されました。
情報収集力のある人間が
力を持ちました。

 

そしてそれは偏りをうみだします。

 

簡単に言えば
情報にアクセスできる人間のもとに
さらに情報が集まり
さらに有益な情報にアクセスができる
という状態です。

 

まぁ、昔の大学教員もその典型で
専門的知識を学んだうえで
大学図書館という知の宝庫に
自由にアクセスでき
大学教員仲間と専門的知識を交換し
行政のなんちゃら委員とかに呼ばれ
テレビのコメンテーターをやり
その結果、さらに情報が集まってくる
という感じ。

 

 

しかし、
インターネット、スマホの普及により
情報収集が民主化されました。
立場、職種、年齢関係なく
一瞬で膨大な情報にアクセスできます。

 

端的な例でいえば
昔は、テレビも新聞も雑誌も
「記者」の執拗な取材で成立していましたが
現在は、
視聴者、読者の撮った
写真や動画がスクープ記事となっています。

 

 

情報発信力も民主化されました。

昔は、マスメディアの力が圧倒的で
情報発信しようと思ったら
テレビに出るか、新聞に取り上げられるか
しかありませんでした。

そのためにプレスリリースしたりしていましたが
絶対に取材に来てくれるという
確実性がありません。

確実性を高めるには
広告、CMを打てばいいのですが
お金がかかるます。

情報発信、それに基づいたブランディング
大企業だけの問題でした。

 

だけど、SNSの普及により
誰もがタダで簡単に
情報発信できる時代になりました。

 

 

資金調達も民主化されました。

昔は、どんなに素晴らしいアイデアを思いついても
「お金がないからできない」
ということが確かにありました。
どこかから借りるという選択肢もありましたが
借りれないケースもあるし
返せなかったらどうしようという
不安やリスクを避け
結局、行動できない
ということが多々でした。

 

しかし、クラウドファンディングの普及により
誰もがタダで簡単に
資金調達できる時代になりました。

 

さて。

 

 

情報収集、情報発信、資金調達が
簡単にできない時代は
学歴や、職業や、持っているお金、等々
が保証となりました。
学歴があれば一流企業に入りやすく
公務員であれば住宅ローンが借りやすい。
そんな保証です。
それを保証とするしかありませんでした。

そして、それらの基礎は
「頭の良さ」「賢さ」
でした。

いくらいい人でも、まじめに生きていても
それが足りなければ
うまくいかない、
経済的に評価されない社会でした。

 

 

しかし
情報収集、情報発信、資金調達
民主化されると
ある意味、そんな保証は必要なくなります。

 

誰でも
イデアと行動力次第で
情報収集し
情報発信し
資金調達し
事業を興すことができます。
イベントを立ち上げることができます。
商品開発できます。

 

しかしです。

 

 

逆に考えれば
情報発信が民主化
誰でもSNSを使って
情報発信できるようになれば
その人の思想や生き様が
むき出しになるということです。

ちょっと頭がよくても
ちょっと賢くても
「自分のことばっかりだよね」
と思われれば
資金調達だってうまくいかないのです。

 

頭がよくなくても
賢くなくても
まじめに、誠実に
人に優しく
人に愛される生き方をしていれば
クラウドファンディングは成功します。

 

情報収集、情報発信、資金調達が
民主化された社会は
誰にも可能性が与えられる社会であり
発想力と行動力が問われる社会であり
頭の良さではなく
思想や生き様
みんなに愛されているかどうかが問われる社会です。

 

そう考えれば
いろんな障害を抱えている人にも
無限の可能性があり
それに挑戦でき
これまでのハンデが
ハンデじゃなくなる可能性があります。

 

 

誰にも可能性が与えられる未来であり
発想力と行動力が問われる未来であり
頭の良さではなく
思想や生き様
みんなに愛されているかどうかが問われる未来です。