食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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おカネと信用のお話し

ここ数日、「おカネと信用」について
真剣に考えました。

f:id:kab-log:20161122221159j:plain

 

おカネについて
堀江貴文氏は、
こういうことを言っています。
(一部、省略、改変)

 


カネを札束か、硬貨の山だと思っている人がいますが
まったく違います。
兌換のシステムが、カネの始まり。
そして現代では、カネはモノではなく、
デジタルデータでも代用できるようになりました。
すなわちカネとは、信用です。
必要な求めに応じてくれる信用を、
国家が数値で保証している。
信用、それ自体がカネの本質なのです。
だから「カネがない」というのは、
「信用がない」という意味と同じです。

 

おカネ=信用(クレジット)。
とすると、藤原和博先生のお話が思い出されます。
(一部、省略、改変)

 


他者から与えられる信用の総量を
クレジットというふうに呼びます。
なぜ生きるのか、なぜ仕事をするのか、
なぜ勉強をするのかの答えは、
このクレジットを増やすためです。
このクレジットが例えば1億円分ぐらいあって
その人が年収として1億円を得ようとすると、
かなりアップアップになる。
逆に、同じ1億円分のクレジットがある人が、
3千万分ぐらいを現金化する場合、
ここに7千万分ぐらいのゆとりが生まれます。
これが自由です。

 

これらの話を統合すると
いろんなことが分かってきます。

おカネは社会的信用が体現化されたもの。
おカネを得るには、
まず、社会的信用を得ること。

今、自分の社会的信用はどれくらいあるのか。
では、どうすれば
社会的信用を増やすことができるのか。

(私個人としては)
社会的信用とは
個人や社会に対して与えたhappyの総和
生み出した付加価値の総和であると思っています。
そしてそれは、自分自身の市場価値、希少度によって
規定されます。

そして
藤原和博氏は、自分の希少度を高めるために
1/100×1/100×1/100=1/100万
を唱えています。

簡単に言えば、100万分の1の人材になり
自分にしかできないことができる力を身につけ
その力を使い
付加価値を生み出し
誰かを、社会をhappyにする。
その蓄積が社会的信用となる。

そして、その社会的信用のうち
どれくらいを現金化して
どれくらいの自由を
人生で手に入れようとしているのか
どう幸せに生きるのか
が問われてきます。

ちなみに
経済学者のダニエル・カーネマンによると
年収が1000万を超えると
年収と幸福度は比例しないことが明らかになってます。

だから、1000万、2000万、3000万と
目指し続けている人は、
ある意味、不幸なのかもしれません。

ちなみに、私を含め
普通の人たちは
この社会的信用を
現金化するための仕組み作り
マネタイズの方法が
がわかっていないので
なかなか所得や年収が上がりません。
起業がうまくいきません。

だから
社会的信用の総量を増やす努力と
マネタイズの方法を学ばなければなりません。
考え、行動し、修正し続けなければなりません。

じゃぁ、
クレジットが現金化されないからと言って
不幸かというと
そんなことはありません。

おカネに変えなくても大丈夫。

おカネや仕事だけでなく
子どもや家族、地域、教育
等々、いろんなものを
大切にしている人ならはそれでいいのです。

社会的信用という
貯金をしているようなものです。

その社会的信用は、
いつか、何らかの形で
子どもや家族、地域、未来に返ってきます。

逆に。

現金化するために四苦八苦し、
さらに、自分の社会的信用以上に
おカネを得ようとすれば、どうなるか。
当然、大きな何かを
犠牲にしなければならないでしょう。

そして、自分の社会的信用は
自分の力だけで創り上げたものではなく
多くの仲間たちが
創り上げてくれたものであることも
絶対に忘れてはならないでしょう。

だから、仲間は
とっても大事なんです。
みんなで一緒に
ちょっとずつ豊かになる。

周りの人がお腹すかせているのに
自分だけ美味しいものを食べても
美味しくないでしょう。

人生も、食事も
みんなで味わうから
美味しくて、豊かになるのです。