喪服の話から哲学になった

この喪服は父親が着ていたもので
つまりお下がり。

 

26年以上前の喪服。

 

少しサイズが大きいし
むs歌詞のデザインのダブル。


コートっぽく丈は長い。
(これはmatrixのネオ的でいい)

 

一般的には
46歳にもなるのだから
喪服や礼服の一つは
新調すべき
なのかもしれません。

 

だけど
「スーツ」だって
年に1、2度着るくらいのものだから
この十数年作っていません。

そんな服にお金をつぎ込むのなら
毎日着る革ジャンを買います。

 

そもそも
喪に服す、とかやめたほうがいいです。
例えば、じいちゃん、ばあちゃんが死んで
子どもたちも(子ども用)喪服着せるって
どれだけコストかかる?
子沢山なら、更にタイヘン。
しかも、1回着て
体大きくなって終わり。。。

 

こんだけ
キャッシュレス化、デジタル化を進めようとしているのに
御香典は現金
しかも「御香典」「御霊前」「御仏前」か悩み
加えて「新札はダメ」
とか(涙)。

 

ゴーシ先生、死んだら、
アラフェスのように
配信にする。

 

あ、話、それた。。。

 

時を戻そう。

 

喪服なんて、年に一度も着ないのだから
と思っていたら
今年は、今日で3回め。

 

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田舎だから、高齢者は多いし
だんだん自分も年をとっているということなのでしょう。
それにしても、今年は
予期せぬ方々が亡くなってしまいました。

 

だけど
死は必ず訪れるし
その死はいつ訪れるかわからない。

みんな、なんとなく
「年寄りのほうが死にやすい」
って思っているだろうと思います。 


例えば
「施設に入っているお年寄りと
 ゴーシ先生、明日、死ぬ確率は?」
と問われたらどう思いますか?


ゴーシ先生の答えは
「50%・50%」。

 

むしろ、
統計的に考えたら
車を運転しているゴーシ先生のほうが
相当に高いはず。

 

子どもたちにしてもそうで
通学のために道路を歩いていて
車が突っ込んできたり
猿に襲われたり
変質者に狙われたりする確率は
施設の高齢者よりずっと高い。
だから、毎日、登校の地域見守りをやっています。


若いからと言って
「生」を保証されているわけではない。

 

だから、僕たちは
この一瞬を全力で生きるしかない。
その全力を誰かに届けるしかない。
その一瞬では、
その人が喜んでくれることしかできない。

 

 

お通夜に行き
会場を出たら
夕日の上に、
鶴のような雲が舞っていました。

 

象徴的な光景でした。

 

これを撮りたいと
海岸まで車を走らせたら
夕日は沈み
鶴のような雲は散っていました。

 

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車を止めて
喪服で海岸まで走って
写真を撮りまくっている姿は
周りの人からすれば
ギョッとしたかもしれないけれど
生きるということは
そういうことなんだと思います。

 

 

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