「夫なんて早く死んでくれたらいいのに」
実際に、そんな考えの妻はいます。
DV、モラハラに悩む妻は当然。
そうでなくても
愛情は消え失せ
精神的・生物的な夫婦関係は
破綻しているのに
なぜ法律的な
夫婦関係を維持しているかと言えば
「子どものため」
「稼いでくれているから」。
でも、冷静に考えてみましょう。
夫が死ねば…夫が死んでも…
- 住宅ローン、無くなります。
- (入っていたら)死亡保険入ります。
- (入っていたら)遺族年金入ります。
- (子どもが小さければ)子ども手当入ります。
- 母子手当入ります。
- 母子家庭の優遇措置受けれます。
- (所得が少なければ)高等教育の入学料や授業料免除される可能性高いです。
いつクビになるかわからない
65で定年を迎え
いつまで生きるかわからない
介護も必要となるかも知れない
そんな夫を抱え続けるって
結構リスクです。
こう考えると
いろんな意味で夫には早く死んでもらったほうが
安定的なのかも知れません。
それに気がついている妻は
思うでしょう。
「夫なんて早く死んでくれたらいいのに」
でも、ここには
いくつかの問題提起があります。
その1。
それが事実だとしても
そう思い続ける人生が
本当に幸せなのかということ。
それが実現したときに
本当に幸せだと
実感できるのかということ。
その2。
「夫なんて早く死んでくれたらいいのに」
と思う妻は結構いるとしても
「妻なんて早く死んでくれたらいいのに」
と願っている夫は少ないはず。
それはなぜかというと
家事や育児を妻に依存しているから。
「夫なんて早く死んでくれたらいいのに」
と思うことが出来るのは
夫が死んでも
生活できる、子育てできる
社会環境、制度が整備されたから。
ということは
すごく皮肉を込めて言えば
男女平等とか男女共同参画とかが
本当に実現できた社会は
「妻なんて早く死んでくれたらいいのに」
と思える夫がどれだけいるかが
KPI(key performance indicator)
になるのかもね。
その3。
なんでこんなコンフリクト(矛盾)が
生まれるのかと言えば
これまでは
生活、性、経済、子育て・教育を
すべて家庭、家族という枠の中で
完結させようとしすぎてたんじゃないかな。
例えば
教育(子どもの学力)はフィンランドのように
「国、学校の責任です」
ってすればいいし
子育てだってフランスのシラク3原則のように
ってすればいい。
(ただ、スウェーデンモデルはダメだと思います)
少なくとも
「早く死んでくれたらいい」
と思ってしまうような
夫側からすれば
「俺、今死ぬほうが家族のためになるんじゃない?」
と思ってしまうような
逆インセンティブが働く社会は問題だと思います。
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