食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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「正しさ」にとらわれない

草原の中で
牛を眺めながら考えました。

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「死にたかったら一人で死ぬべき」
論争が続いています。

太田光さんの意見と
松本人志さんの意見とを
対立させてみたり。

 

この論争の口火を切ったのは
藤田孝典さんの
『「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい』。

その理由は、「次の凶行を生まないため」。

加害者は「社会に対する怨恨」があるので
「死にたかったら一人で死ぬべき」という
メッセージを受け取った時どう思うか。
「やはり社会は何もしてくれない」
という想いを募らせ、凶行に及ぶ可能性がある。

だから、困っていたり、辛いことがあれば、
社会は手を差し伸べるし、
何かしらできることはある
というメッセージが必要。

 

では、「死にたかったら一人で死ぬべき」
という考えが正しいか、間違いか
と言えば、やっぱり正しいと思います。

 

藤田さんの意見が正しいか、間違いか
と言えば、やっぱり正しいと思います。

 

「正しさ」って
見方や次元、時間軸、価値観によって
いろいろ変わってきます。

 

最近は、特に価値観が多様化して
また、SNS等で事由に情報発信できるので
ある意味、「正しさ」「正解」が
なくなっているのだと思います。

 

 

 

だから、私は、こういう問題で
自らの正しさを主張するということは
(逆に、相手の間違いや誤りを指摘することは)
非生産的であるし、
ある意味
危ういと思います。

 

 「死にたかったら一人で死ぬべき」
論争で、必ず出てくるのが
「被害者家族の意識を考えろ」
「被害者家族の前で言えるのか」。

 

これは、一見、正しさについて
語っているように見えて
実は、感情について語っています。

 

「まっちゃんが正しい」
「い~や、太田さんのほうが正しい」
というのも、
実は正しさを比較しているように見えて
実は、自分がどちらに共感できるかだけの問題です。

 

私は
人は「正しさ」の生き物ではなく
人は「感情」の生き物だ
と思っています。

 

もし、人が「正しさ」の生き物なら
こんなに非合理的なことはやっていないはずです。
これは行動経済学でも証明されています。

人は感情で動きます。

 

正しさは
頭で理解しますが
感情は
心で共感します。

 

大切なのは
「まっちゃんの意見もわかる。
 太田さんの意見もわかる。
 じゃぁ、自分はどう考えるかなぁ…
 自分が加害者の立場なら…
 自分が被害者家族の立場なら…」
と幅を広げること。

 

と、すればです。

自分が、なにか意思決定をし
行動するときの基準は
「正しさ」よりも
「共感してもらえるか」です。
言い方を変えたら
周りから、どう見られるかです。

 

藤原和博先生は
これを「納得解」と言います。

 

大人塾では
「他人からどう見られるかなんか関係ない」
「自分の信念を貫くべき」
と言ってますが(笑)。

 

 

では、なぜ正しさではなく
感情、共感が大事なのか。

 

 

例えば、私が
「ある新興宗教に傾倒しています」
「あるネットワークビジネスをやっています」
なんて言ったら、
大人塾参加者は激減するでしょう。
講演依頼も激減するでしょう
やってないですよ!

 

日本では、信教の自由はあるし
ネットワークビジネスは、法令的には問題ありません。
これは「正しさ」です。
やってないですよ!

 

でも、人の感情は違います。
「ゴーシ先生は、アレを広めるために
 大人塾やってるんじゃない?」
「あやしいよね」
と1mmでも一瞬でも思われたらoutなのです。

 

ブランディングとは
見え方のコントロール

 

と言うと、
「表面的っぽくてキライ」
「見栄えだけ」
と思われるかもしれません。

 

しかし、
誇大広告するのではありません。

 


どう見られたいかを
ちゃんと情報発信する。
さらに言えば
ディス・ブランディング
になることはしない。

「私が正しい」
という正しさに囚われた思考は
感情思考、共感思考を排除してしまうし
思考の幅が狭くなります。
それしかなくなります。

 

大衆に迎合しろという
意味ではありません。

 


今が、そのタイミングなのか等々を含め
ベストな意思決定をするには
正しさだけでなく
人の感情、共感
人からどう見られているか
も理解する必要があるでしょう。

 

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