第1回被災のリアルを知り防災を考える会

3/29(木)の午前は
あいくるで『第1回被災のリアルを知り防災を考える会』。

 

講師は、15年来の仲間、小森耕太君。

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久しぶりに一緒にセミナーできるということで
個人的にも楽しみにしてました。

参加者は少なかったのですが
本当に面白かったし、勉強になりました。

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印象に残った点をいくつか紹介します。

 

『トラウマとまでは言わないけれど』

八女を襲った九州北部豪雨が起きたのは2012年7月。
もう5年半が経ちます。
小森君は人前でお話しする機会も多いのですが
テーマは「復興」が多く、その話は明るく楽しい。
しかし、「災害そのもの」の話は、苦しい。
pptからも、その写真はドンドンげずって
少なくなっていきました。
今回のために、改めて写真を追加していたら
どんよりした気分になって
胸が苦しくなった。

 

それは、お子さんや奥様もそうで
今でも、大雨は怖いようで
大雨情報が発令されると
ソワソワしはじめます。
すぐに避難所に逃げてくるお年寄りもいます。
水害前は、一切そんなことありませんでした。
それくらい、地域住民の脳裏に深く刻まれています。

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『子どもがほったらかしになった』

参加者にまず、問題意識を聞くと
「どうやって子どもを守るか?」

それを受けて、小森君。
子ども、家庭はほったらかしになってました。
今となれば、反省しています。
当時は、
消防団としての仕事
NPO法人山村塾としての仕事
ボランティアの受け入れ
避難所の運営…
本当に忙しく
家は、水も電気もずっととまっているのに
そんな家に、子ども、家庭、
ほったらかしになっていました。

正義感が強いと
こういう災害時に張り切る人が多い。
家庭とか誰かが、
そして自分にも負担がかかる。

 

『山村塾とは』
小森君が属する「山村塾」というNPO法人
都市農村交流、棚田・里山保全を目的としています。
主体は、農家中心。
年間を通じて棚田での米作り、山の手入れを行っています。
家族での参加が多く、
大きな家族のイメージ。

こうした
生産者と消費者とのつながり
農村部と都市部とのつながり
さらには
以前から
被災地同士のつながりがありました。
それがよかった。
被災して痛感しました。

 


『日本初、史上初?』

山村塾は、ずっと以前から
「国際里山ワーキングホリデー」
をやっていて
年間を通じた合宿型のボランティアの受け入れ
里山保全活動を行っていました。

豪雨当日も
3人のボランティアが
山村塾の事務所のある「えがおの森」に滞在していました。
うち、2人が外国人。
で、豪雨でみんな避難してきた。
すでにボランティアはいます(笑)
当然、ボランティアの拠点ですから
布団、食料がありました。

普通は、災害が起き、避難し
そこにボランティアが駆け付けるという流れですが
ボランティアがいるところに避難してくるという
日本初、史上初の展開だったかもしれません。

 

本当によかったのが
言葉の通じないボランティアがいたこと。
緩衝材になります。
子どもたちの相手ができます。
他の避難所では
ストレスのせいで
日頃の人間関係が露になり
荒れた避難所もあったそう。

 


『当日』
実は、雨は1週間前から降り続いていて
家の中に水が入ってきた
という知らせを受けて
消防団で巡回をしていました。

一旦、小康状態になり
安心していたら
当日の朝、1回目のピークの雨。
危険を感じ「えがおの森」に避難。

一回目の雨のピークが終わり
消防団で、集落に避難を呼びかけ
道路が川のようになって
車もつかえないので
非難が遅れた高齢者を
背負って避難。

 

その様子はコチラ↓

 

yumekasahara.jp


『けっこう快適、でも…』

避難所の「えがおの森」には
100人の避難者が集まりました。
とはいえ、もともと小学校。
体育館もあるし
各教室もあるし
ボランティアが泊まれるように
畳も敷いていたので
快適に過ごすことができました。
「旅館に来たみたい」
と言っているお年寄りもいました。

電気、水道は止まったけど
携帯は使えたので
安心していたら
しばらくすると
携帯もつかえなくなりました。
基地局のバッテリーがなくなってしまったらしいのです。


『ピークが過ぎ…』

豪雨のピークが過ぎ
翌日から、現状確認。
言葉を失う。
生活できない…農業できない…
という思いがわいてきます。

それよりも道路。
約20kmある、川沿いの主要道が
10か所寸断。
消防団で山道に入り迂回路を探しますが
道路が土砂と水で覆われ
まるでシャワークライミングをしているかのよう。


『農家の力』

行政の支援を待っていては
どれだけ時間がかかるか分からないことが分かり
自分たちでどうにかしようと
各自、重機、チェーンソー等々を持ち寄り
道路の迂回路づくりを開始。

発電機を持ってきて
井戸から水をくみ上げたり
山水を使って
生活用水にしたり
五右衛門風呂がある家で
お風呂を沸かして
女性と子供がもらい湯に行ったり。
本当に農家はたくましいと思いました。

 

『ご飯のこと』

3日目から迂回路を軽トラが通って
弁当が届くようになりました。
唐揚げ弁当などです。
すぐ食べることのできる
お菓子も大量に届きました。

でも、おばあちゃんは
その弁当を1日で食べれなくなりました。
お菓子を食べたのも
最初の1回だけ。

おばあちゃんがご飯を食べなくなったのを
目の当たりにし
そこで行政に無理を言って
お弁当ではなく
食材を届けてもらうようにしました。
ただし、コメはいらない。
コメはある。

食材が届き
料理当番を決めました。
そうしたら当番関係なく
おばあちゃんが
みんな調理室にいて
何かつくってる(笑)。

 

男衆はずっと重機を動かして
なんかやっているだけど
おばあちゃんたちは
できることがなくて
でも、「料理」で急に輝き始めました。

 

しかも、それまでは
勝手にお弁当を取って
一人で好きな場所で
好きな時間に食べていたのに
料理が始まって
みんな、同じ時間に
食堂に集まって一緒に食べるようになりました。
会話が生まれました。
料理によって
生活が取り戻せた、
そう感じた瞬間でした。

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『ボランティアのこと』

5日目に携帯が使えるようになり
FBでボランティア募集を呼びかけました。

行政のボランティアは
社会福祉協議会
その運営を担っていたのですが
八女市中心部や柳川の対応で
いっぱいいっぱいで、山村部に目も手も向いていない。
ということで
自分たちでやろう。

 

初日で、20名が集まり
中学生、高校生も多数参加してくれて
本当に地元の方に喜ばれました。

 

そして
山村塾は住居という生活復旧だけではなく
農地復旧も行いました。
農村にとっては農地は
生活だからです。

 


そして…

 

まだまだ
書いていないことは
たくさんあります。

是非、実際に小森君のお話を
聞いてほしいと思います。

 

今回は、集客に苦労し
正直、赤字だったけど
これをやりたいと決断した黒屋さんに感謝です。

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