大学の教員に

ある大学生が
「大学の教員になりたい」
と言います。

 

聞けば、現在、〇学部に所属しているのだけれど
小さいころから学校の先生になりたくて
そのことを親と話していたら
「じゃぁ、大学の先生になればいいじゃない」
とアドバイスされたらしい。

 

ちなみに、
他の学生に話を聞いても
「本当は○○になりたいんだけれど
 成績が足りなくて
 とりあえず九大の中で入れた
 〇学部です」
なんて学生は、結構多いです。

 

あ、そうそう。
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この記事も。

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さて。

 

先の学生に
私はこんな話から始めました。

 

小中高の学校の先生になることと
大学の先生になることは
本質的・能力的にも
キャリア形成的にも全く違います。

まず、学校の先生は教育者です。
子どもの人生を創ります。
一生を変えます。
その結果、社会が変わり
国が変わります。
「教育は国家百年の計」です。
たしかに、ブラックな部分はありますが
その志があるからこそ
教育という仕事に携わっているのです。

 

一方、大学の教員は
基本、研究者です。
素晴らしい研究成果を残した人が
大学教員になれるのであり、
基本、教育者になるための
勉強やトレーニングは
全くしていません。
当然、大学教員の中にも
素晴らしい教育者はいますが
それは稀なケースで、システムとして
そういうことにはなっていないのです。

 

キャリア形成的に見れば
学校の先生なるためには
教員免許を取得し
教員採用試験に合格すること。
大学の教員になるには
大学院修士課程、博士課程を修了し
博士号を取得し
その先にも実力と運がなければ
大学教員になることはできません。

 

実力とは
いかに研究成果を挙げているか
具体的に言えば
評価の高い学会でどれだけ論文を書いているか
運とは
ポストが空くかどうかです。

 

昔は、
D論書いて、
オーバードクター(OD)
ポストドクター(PD)
なんちゃら研究員
みたいな形で
大学に残り続け
ポストが空いたら
先生に引っ張ってもらい
そこに滑り込む
みたいなことができていました。

 

まぁ、
精神力と経済力のがまん比べ
みたいな側面がありました。

 

でも、今は
どの大学でも教員採用は
完全に公募なので
圧倒的研究成果を残している人が
一人でも応募してくれば
採用されない可能性が高いです。

 

 

そういう意味で
大学の教員になるには
高いレベルでの実力と運の両方が必要になりました。

 

まぁ、競争原理が当たり前に
はたらき始めたと言ったらその通りなのですが。

 

 

さて。
大学教員は本当に素晴らしい仕事ですし
楽しいです。
私自身も、このライフコースに
後悔はありません。
それを目指す若者に
「ムリ」「できるわけがない」
なんて言うつもりもありません。

 

では、私が
2017年7月10日に
18歳だとしたら。

大学教員を目指すというコースは選びません。

 

理由は簡単。

 

時間がかかりすぎるから。
イニシアチブを自分でとれないから。
「自分」以外の不確定要素が多すぎるから。

 

 

正直に言えば、大学って
生産性が低下しています。
昔から4年。
PCもネットもスマホもないときでも4年。
今は
PCもネットもスマホもあるのに4年。

つまり
生産性低下しています。

そんな生産性の低いところに
4年、2年、3年いて
やっと大学教員になれるかなれないかの
スタートラインです。

 

今の社会
9年あれば、何でもできる。

 

で、9年かかって
すっげー実力があっても
ポストが空かないと
大学教員になれませんし
ポストが空いても
実力がなければダメで
じゃぁ、実力があればいいかというと
やっぱり人脈大事で
パワハラ的な先生の言うことも聞いとかないといけないし
学会内で人脈作っとかないといけないし
みたいな。

 

つまり、自分で決めれない要素が多すぎる。

 

自分がやると決めたら
できること。
イニシアチブは
最後まで、絶対に自分が握っておくこと。

 

「最近、講演回数スゴイですね!」
と言われますが
理由は簡単。
依頼を待つだけではなく
強力な協力者を得て
自分が企画しているから。

 

 

イニシアチブは絶対に握ってるから。
自分がやると決めたら
絶対にできるから。

 

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