「楽」と「楽しい」の違い

「弁当の日」の講演で、
これまで私が作った弁当を紹介するときがある。
アリメグさんのように、
他の人の弁当とそれにまつわるエピソードを
完璧に記憶しておけば、
みんなの弁当を紹介するのだが
34歳、老化しつつある頭の記憶力では
自分の弁当のことを覚えているのが精一杯。
そこで仕方なく私が作った弁当を紹介する。

そうすると、
「これ全部先生が作ったんですか?」
というようなざわめきが起き
「そうですよ。
毎朝の朝食は私が作りますし、
ヨメさんがJICAや国際交流協会で働いていた頃は、
ヨメさんの弁当を私が作っていたこともあります」
というような話をすると
奥様方は
「うらやましい!」
というような反応になる。

そういう人たちからすれば
うらやましいかもしれませんが
我が家にとってはそれはフツー。
男女共同参画とか
夫の家事分担とかを
念入りに考えて、話し合って
そうなったわけではなく
自然に今のスタイルができあがった。

正直なところ
ヨメさんのためにやっていると言えばそれはそのとおりだが
自分のためにやっていると言えばそれもそのとおりなのだ。

朝4時とかに起きて、ひとしきり仕事をして
「疲れたな~」と思い始めたら
朝食の準備に取りかかる。
私にとって炊事はいい気分転換なのだ。

料理をしながら、
仕事のことも考えていて
たぶん料理をしているときは
右脳とか五感が活性化しているはずだから
原稿の展開とかも、パッとひらめくときがある。
「仕事も頑張って、家事も負担してタイヘンじゃないですか?」
と聞かれることもあるが
全然、タイヘンじゃありません!
むしろ家事には人生のhappyが詰まっています。
そう考えています。
居間に座っていれば
部屋が片づき、
食事が出てきて
お茶が出てきて、
掃除も洗濯も済んでいる。
そんな生活は楽(らく)でしょう。

私もそんな生活は楽とは思うけど
happyだとは思わない。

いつ死ぬか分からない人生。
同じ時間を使うなら
居間に座ってみのもんたを見続けるよりも
料理をして、汚れているところを見つけたら掃除して
皿も自ら洗うし、玄関のクツもちゃんとそろえる。
そんな時間の使い方をしたほうが絶対にhappyだと思う。

じゃぁ、そうした時間が楽しくて楽しくて仕方がないか
と言えばそうではない。
やっぱり面倒くさいなぁ
なんて思うこともある。
楽しいとhappyは違うのだ。
楽と楽しいとhappyは違うのだ。

happyはどこにあるか。
「イヤだな~」
「面倒くさいなぁ~」
「自分の手を汚したくないなぁ~」
と思うことでもやる。
1週間前、昨日まではそう思っていたことでも
やり続けることで
それが当たり前のようにできるようになる。

昨日は気づけなかった部屋の隅の汚れに
今日は気づけるようになる。

やらなくてもいいことかもしれないけど
それをちゃんとやる。
できるようになる。

八尋さんは言う。

せんでもいいけど、やったほうがいい。

丁寧に暮らすとはこういうことなのだろう。
そしてhappyとはこうした成長のなかにあるのだろう。

そうやって考えていくと
面白い考えに至る。

家事のなかにこそ人生のhappyはあるのではないか。

仕事。
仕事において、せんでもいいけど、やったほうがいいなんてことはあまりない。
やらなければならないことは、やらなければならない。
「イヤだな~」
「面倒くさいなぁ~」
「自分の手を汚したくないなぁ~」
と思ったってやらなければならない。

やらなくていいことは、やらないほうがいい。
それをやってしまうことで他の人に迷惑をかけることもある。

そして、仕事において
自分の成長を日々実感できるかというと
なかなかそれも難しい。
(新入社員は毎日が成長の連続だろうが)

一方、家事は、せんでもいいけど、やったほうがいいことに溢れている。
それをやっていくことで成長も実感しやすい。

別な視点から。

2008年現代農業増刊『食の自治から暮らしの自治へ』。
その中で魚柄仁之助さんは「オトコとオンナの家政学」のなかでこんなことを書いている。

1600年代のオーストリアにいた貧乏領主ホーベルクを素材にしているのだが、
このいわゆる封建社会において、領主であること、家長であることが
いかに大変なことだったのか!
驚きであります。
うつけ者のバカ殿ではつとまらんのだ。
まず農業知識とその技術を実践できねばならん。
料理や掃除、おうちのメンテナンスから使用人の使い方、
隣近所との関係づくり、健康管理、進路指導...。
そう、一家を、地域を、国を治める者として
オールマイティーな指導力、
実践行動力がなければならなかったんだ。
そういったことをすべておさえてこその「家政学」であったんですね。
まさに「家政」なのです。
単なる家事ではなく、世を、家を、治める「政り事」が家政学であったのです。

今風に言えば、リーダーたるもの
家事ができなければならない、ということですね。
なるほどなるほど。