食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


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株式会社ふくや 代表取締役社長 川原正孝氏 『人を活かす経営』

今日(9/8)の午前は、エルガーラで
株式会社ふくや 代表取締役社長 川原正孝氏の
『人を活かす経営』という
お話を聞かせていただきました。

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ふくやの先代の社長、川原俊夫氏が
辛子明太子を開発。

昭和24年に明太子を初めて製造、販売を開始。

ふくやの後を追って、
1960年代には多くの同業者が設立され
一大市場を形成。

正孝氏は福岡相互銀行
営業を行っていました。
その銀行で、女性の力を痛感したそうです。

営業していて、大きな銀行に
勝てるときがありました。
その理由は、
福岡市に実際の店舗があったこと
そこでの女性社員の接客がよかったこと。

福岡相互銀行から
(株)ふくやへ。
当時の社員は全員男性で
店舗戦略、商品戦略をやりなおしたいのだけれど
人材がいません。

そこで、男性社員、女性社員ともに
新規募集したのですが
男性は全く受けに来てくれませんでした。

s57年に初めて女性社員を採用し
s61年には初めて大卒の女性社員を採用しました。

受けに来てくれるのは
90%が女性で
成績では、女性のほうが圧倒的に優秀でした。

というのは
優秀な男性は、東京に行き
福岡でも七社に行く。

結局、入社してくるのは
優秀な女性ばかり。

s50年代は、夫に
「妻の専業主婦志向」が強く、
結婚退職。

結婚では退職しなくても出産退職。

「ふくやの20年先、
 30年先はどうなるんだろう?」
という疑問が頭をよぎります。

まず「結婚退職は許さない」としました(笑)
そのために「結婚するなら福岡の人」。

これで、
結婚退職はなくなりましたが
出産退職は止まりません。

H4年に育児休業規定を作りましたが
誰も利用しません。
勤める側から見れば
不備だらけの規定だったそうです。

H9年に初の育休取得者。
5年かかりました。

H12年には、勤務時間、土日勤務、残業等々
のバリエーションを作り
勤務体系を6つにわけました。
H13年には、6人が育休を取得。

育休取得時には
総務が本人を呼び出しヒアリングを行います。
本人だけじゃなく
他企業に勤める夫も呼び出し
「育休取れないんですか?」
とヒアリングします。
女性の働きやすさには
男性の役割が不可欠なので
そこまでおせっかいをします。

能力の高い女性ほど
子育ても仕事もできます。

産休、育休で
キャリアがストップしてしまうイメージがありますが
子育てしている間にキャリアアップします。
つきあいが変わります。
広がります。
感性が変わる。
その結果、店舗での接客
老人、子連れに対して対応が変わります。

企業は合理化も必要ですが
ゆとり、あそびが必要で
ここに子育てのキャリアが活かされます。

それを会社として保障するには
会社は何をすればいいか。
そこには「お互いさま」精神が大事で
それが歴史となります。

ふくやにはベテランパートさんが多く
その方々と一緒に仕事することによって
いろんな「夫婦」「子育て」の経験を聴けます。

これが会社にとっての
社員にとっての
財産になります。

子育て経験は財産です。

H14年には第1回福岡県男女共同参画企業賞
H15年には、福岡県子育て応援宣言企業、第1号となりました。
現在、6000社になっています。

このように、ふくやは
女性の労働環境、
子育て環境の改善をやろうとしたのではなく
企業の労働力確保、生き残り戦略として
やってきました。

これからの企業は
そんな優秀な労働力の確保が
生き残り戦略として
必要不可欠になります。

企業の生き残りのためには
女性に残ってもらわなければなりません。
子育てしやすい環境を企業がつくれば
いい人材を確保できます。

今、ふくやは何を狙っているか。

旦那の転勤でやめる女性社員がいる。
だから旦那の転勤をさせない(笑)。

そのためには
福岡で働き続けられる
雇用の場を作ればいい。
福岡はそれができる。

そうすれば
福岡には優秀な人材が
たくさんとどまるようになる。

先代がそうであったように
「地元の役に立つ」
そういう企業を目指します。