私は赤ちゃんである

2007年に『ここ』が出版されて
その当時は、
助産師の方々から
「あの赤ちゃんの詩がすごくいい」
「男性であんな詩を書けるなんて!」
みたいな評判を
すごく耳にした。

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あれから
7年もたって
あれから
15冊くらい本を書いて
「赤ちゃんの詩」
の感想を聞く機会は
ほとんどなくなったけど
先日、
知人がここを読んでくれて
「あの詩が最高によかった」
って言ってくれた。

その部分を紹介。

 

この原稿の執筆のため、
内田産婦人科を訪問した日。
玄関のドアをたたく前に、
内田先生が笑顔で迎えてくれる。
(中略)
靴を脱いですぐ
「赤ちゃん見ますか?」と
新生児室の前に案内される。

ガラス越しに生後五日の赤ちゃんが二人。
後から話を聞いてわかったのだが、
母子同室を基本としている内田産婦人科で、
その日に新生児室に行って、
赤ちゃんが二人もいるというのは、偶然だったのだ。

「赤ちゃんは全部同じに見えるなんて言うけど、
全然違うでしょう?」と内田先生。

うーん。
結構、同じに近い。

しかし、
あまりのピュアピュアさに目を離せずにいると、
まるっきり別人に見えてくるから不思議だ。

しばらくすると一方の赤ちゃんがぐずり出した。
新生児室の中にいた看護婦さんが、
おくるみして、
優しく抱きかかえる。

すると不思議なことに泣きやむ。

そうすると、
もう一方の赤ちゃんがぐずり出す。
看護婦さんは、
泣きやんだ赤ちゃんをベッドに戻し、
もう一方の赤ちゃんを優しく抱きかかえる。

すると不思議なことに泣きやむ。
またまた、泣きやんだ一方の赤ちゃんが泣き出して・・・。

モグラたたきのように「泣く」&「抱っこ」。

そんな光景をはじめて見る私にとっては、
なぜ抱かれると泣きやむのか本当に不思議だし、
なぜベッドに戻されると再び泣き始めるのか
本当に不思議である。

新生児室の前で赤ちゃんをみつめ、
赤ちゃんになりきって考えてみる。。。

 

 

私は赤ちゃんである。
まだよく目は見えない。
見えるものが何かもよく分からない。
一人では何もすることができない。
一人でご飯を食べることもできない。
液体を吸うことはできるようだ。
しかし、口に入れてくれなければ吸えない。
敵が来たって闘う力はない。
でも、信じられないくらい握力だけはある。
生き残るためには、
絶対に母親の力が必要である。
そういえば母親が近くにいないような気がする。
ま、まさか!?
ひ、一人では生きていけない。
母親を呼ばなければ。
こうして母親を
ちゃんと呼べたものだけが生き残ってきたのだ。

泣け、叫べと先人たちが心の中で教えてくれる。
泣こう。叫ぼう。
そうすれば絶対に母親が来てくれる。
・・・・

ふぅ~。成功。

安心、安心。

抱かれると命の安全を感じる。
守ってくれる母親が近くにいると言うことだからな。

と思ったら、ベッドに置かれたぞ。

あら!?
隣の似たオーラを発しているヤツを
抱いているではないか。

どうしよう。
ひ、一人では生きていけない。

母親を呼ばなければ。

こうして母親をちゃんと呼べたものだけが
生き残ってきたのだ。
泣け、叫べと先人たちが心の中で教えてくれる。
泣こう。叫ぼう。

そうすれば絶対に母親が来てくれる。

抱かれていないと泣くのは、
赤ちゃんの動物としての防御本能だろう。
私にとっては不思議な、
モグラたたきのように
「泣く」&「抱っこ」も
当たり前の話かもしれない。
本能とは本源的な欲求だから、
それは満たすべきと言うか、
満たさなければならない。
そうでないと、
たくさんの不安と不満を抱えてしまうはずだ。

 

ここ―食卓から始まる生教育

ここ―食卓から始まる生教育

 

 

当時は
「泣き続ける赤ちゃん」

「ストレスを感じてい
 苦しんでいるママ」
がいて
「赤ちゃんは泣くしかできないんだよ」
ってメッセージを伝えたくて
妄想して書いた原稿だったけど
これは今なら、
書けないな。

当時は子どもがいないから
赤ちゃんの気持ちになって
純粋な子どもの立場で書けた。

 

今はたぶん、違う表現になる。

 

パパにも
ママにも
寄り添ってしまうなぁ。

そうしたら
こんな感情移入はできなくなるのかもなぁ。。。

久しぶりに
ページをめくったけど

すごくいい本です。


問題は
「はなちゃんのみそ汁」
のドラマや映画で
この絵が使われているけど…

この絵は『ここ』のものですからっ!

残念!!!