食育研究家。九州大学講師/糸島市行政区長/1973年、大分県生まれ。農学博士。/年間の講演回数は100回を超え、大人向け学びの場である「大人塾」「ママ塾」「mamalink塾」等も主宰/主な著書に『いのちをいただく』『すごい弁当力!』『食卓の力』など、いずれもベストセラー/新聞掲載、テレビ・ラジオ出演も多数


official web: http://goshisato1973.com/


佐藤剛史の著作一覧


佐藤剛史への講演依頼

講演依頼フォームはコチラ


佐藤剛史の講演のサンプル動画


佐藤剛史への連絡は→goshisato1973@gmail.com

友だち追加

年齢別死亡原因

大阪に向かう新幹線の中で
講演の資料を作成するため
「年齢別死亡原因」
をpptにまとめていました。

f:id:kab-log:20170214185843j:plain

知ってはいましたが
15歳から39歳までの
死亡原因の第一位は
「自殺」。

しかも、20歳~29歳までは
自殺による死亡が
約50%です。

おそらく
自殺を考えている人に
「生きたくても生きることができない人がいる」
って話をしても
「その人たちのために生きよう!」
という気にはならないかもしれません。

だとしても
瞳ちゃんが残してくれた
メッセージを伝えましょう。

『命を見つめて』

みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。
実は、幸せが私たちの一番身近にあることを
病気になったおかげで知ることができました。
それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく
「今、生きている」ということなんです。

私は小学6年生の時に
骨肉腫という骨のガンが発見され、
約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。
この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、
右足も太ももから切断しなければならないと
厳しい宣告を受けました。

初めは、とてもショックでしたが、
必ず勝ってみせると決意し
希望だけを胸に病気と闘ってきました。
その結果、病気に打ち勝ち
右足も手術はしましたが残すことができたのです。

しかし、この闘病生活の間に
一緒に病気と闘ってきた15人の大切な仲間が
次から次に亡くなっていきました。
小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで
年齢も病気もさまざまです。

厳しい治療とあらゆる検査の連続で
心も体もボロボロになりながら、
私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。

しかし、あまりにも現実は厳しく、
みんな一瞬にして亡くなっていかれ、
生き続けることがこれほど困難で、
これほど偉大なものかということを思い知らされました。

みんないつの日か、
元気になっている自分を思い描きながら、
どんなに苦しくても目標に向かって
明るく元気にがんばっていました。

それなのに生き続けることができなくて、
どれほど悔しかったことでしょう。
私がはっきり感じたのは、
病気と闘っている人たちが
誰よりも一番輝いていたということです。

そして健康な体で学校に通ったり、
家族や友達とあたり前のように
毎日を過ごせるということが、
どれほど幸せなことかということです。

たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって
悩んだり、苦しんだりしたとしても
命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。

生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が
命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、
世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。

今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、
平気で人の命を奪う事件、
そしていじめを苦にした自殺など、
悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。

命を軽く考えている人たちに、
病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。
そしてどれだけ命が尊いかということを
知ってもらいたいです。

みなさん、私たち人間は
いつどうなるかなんて誰にも分からないんです。
だからこそ、一日一日がとても大切なんです。
病気になったおかげで生きていく上で
一番大切なことを知ることができました。

今では心から病気に感謝しています。
私は自分の使命を果たすため、
亡くなったみんなの分まで
精いっぱい生きていきます。
みなさんも、今生きていることに感謝して
悔いのない人生を送ってください。

2004年7月2日 猿渡瞳

 

この作文は、 

「青少年健全育成弁論大会」
の壇上で発表されたものです。

作文の手直しは、
弁論大会当日の明け方まで行われました。

体が衰弱することを恐れたお母さんは、
何度も「寝なさい」と促したそうです。

しかし、瞳さんはかたくなに
「これだけは挑戦したい」
と言い張ったそうです。

そして、この作文は、
全国作文コンテストの優秀賞に選ばれたのですが、
残念ながら瞳さんはそのことを知りません。

「青少年健全育成弁論大会」の2ヶ月後、
わずか13歳の若さでこの世を去りました。

 

瞳スーパーデラックス―13歳のがん闘病記

瞳スーパーデラックス―13歳のがん闘病記